青木源太、“話の達人”の最高峰は池上彰と林修「スピードと正確性が極めて優れている」
日テレ退社の理由は「新しいことに挑戦したいと思った」
「新しいことに挑戦したいと思ったんです。もう一つは働き方改革の波がここ4、5年、来ていたこともあります。2017年ぐらいから労働時間が減っていたんですが、僕の職責は上がっていく。そこにギャップを感じていました。働き方改革はとても大切で、過労死も絶対あってはいけないと思いますが、自分はサラリーマンではなく、フリーランスが合っているなと思ったんです。フリーであれば、他局はもちろん、地方局も含めて、いろんな仕事の可能性が広がりますから」
送り出してくれた日テレには感謝しかない。「こうして司会の仕事をさせていただけるのは日本テレビで鍛えられたからに他ならないですから。日テレは一緒に仕事している人の顔が浮かぶ会社です。今も仕事をさせていただき、懐の深さも感じますし、自分も恩返ししたいという気持ちもあります」。
日テレ時代に一番大変だったのは、入社まもなく担当したバイク番組「Moto GP」のレース実況だという。トラクション(駆動力)など専門用語を覚えるため、大型自動二輪免許も取得したというから驚きだ。
正月の風物詩、箱根駅伝の実況したのも思い出のひとつ。「1チーム20人ぐらいで、20校あるので、100人ぐらい選手をアナウンサー20人が1年かけて、分担して取材するんです。アナウンサーはどの選手のエピソードもしゃべられるように共有しているんです。作業量は膨大で大変なんですが、楽しさはその3、4倍ありました。『Moto GP』も最終的には楽しかったです。僕は一から勉強するというやり方しかできないんですよ。今の仕事も事前に資料をもらって準備する時間をもらっています」。
話術の秘密は丁寧な下準備にある。それが積み重なって、キャリアアップにつながっている。「キャリアアップは才能のかけ合わせだと思うんです。例えば、100人に1人の人材マネジメントの才能と100人に1人の営業の才能をかけあわせたら、1万人に1人の人材になれる。勉強したりして、自分の強みにすると、ゆくゆく道が開けていく」。
男性アナウンサーきってのジャニーズ通というのも強みのひとつだ。「僕はもともとテレビっ子。特に、歌番組が大好きで、青春時代は『HEY!HEY!HEY!』や『ミュージックステーション』を見ていました。その中で輝いていた人たちがジャニーズの方々でした。あのキラキラ輝く王道ジャニーズの世界観が好きなんです。だから、このグループが一番好きというのはないですね」。ちなみに、カラオケの十八番(おはこ)は、GReeeeNが書き下ろしたNEWSの「weeeek」とか。
フリーになった今、目指すは日本一の司会者だ。「私達の世代では、結婚式の司会といえば、徳光和夫さんというイメージって、あるじゃないですか。『大きいイベントの司会といえば、青木さんだよね』と思われたい。イベントの司会は得意だし、好きなんです。フリーになってから一番の喜びは、一度仕事をした人から、もう一度オファーをいただくこと。これは、前の仕事が認められたということで、サラリーマン時代にはなかった感覚です。先日、『IdentityV 第五人格』という中国のゲーム大会の司会をやらせていただいたのですが、すごい人気があって、楽しいんだ、と初めて知りました。まだまだ知らない世界があるし、新しい出会いもたくさんあるんだと、改めて感じました」。青木の挑戦は今後も続いていく。
□青木源太(あおき・げんた)1983年5月7日、愛知県出身。慶應義塾大学卒業後、2006年にアナウンサーとして日本テレビに入社。同期入社は桝太一ら。情報・バラエティー番組への出演を中心に、スポーツ中継(10年第86回箱根駅伝など)の実況を担当。20年9月30日付で日本テレビを退社。翌10月1日からレプロエンタテインメントに所属し、フリーアナウンサーとして活動中。