【ズバリ!近況】シドニー五輪銀銅の背泳ぎ・中村真衣が明かした本音「ベスト記録より金を取りたかった」

シドニー五輪メダリストの中村真衣さん【写真:荒川祐史】
シドニー五輪メダリストの中村真衣さん【写真:荒川祐史】

初出場のアトランタ五輪ではつらい思い出だけ

 そしてそれ以降は順調に記録を伸ばし、シドニー五輪に。

「シドニーに行く前に鈴木大地さん(ソウル五輪背泳ぎ金メダリスト)に取材に来ていただいて、そのとき、金メダルは取れなかったが自己ベスト記録で泳げた、金メダルは取れたが自己ベスト記録で泳げなかった、大地さんだったらどっちがいいですかと、私が質問したところ、大地さんはメダルよりもベスト記録を出すことが大切だとおっしゃった。私もメダルより結果を出すこと、結果を出せばメダルも付いてくると思っていたのですが、終わってみると、自己ベストの記録でしたが金メダルには届きませんでした」

 当時のライバルが皆調子が悪かった中、無名だったルーマニアのモカヌ選手が予選1位通過。決勝でもトップで、中村さんは0.34秒の差で無念の銀メダルとなった。また、4×100メートルメドレーリレーでは銅メダルを獲得した。

「大地さんはああおっしゃったけれど、やはり五輪ではベスト記録よりも金メダルを取りたかったという気持ちが正直強かった。でも、今では銀と銅メダルは私の宝物です」

 ところで、なぜ背泳ぎだったのか。

「実は小6までバタフライでした。バタフライでも新潟県内では結構強かったので、スイミングスクール(JSSスイミングスクール長岡=新潟県長岡市)で一番上の『選手コース』にいたんですが、そのコースは朝練があった。月水金の午前5時過ぎから7時過ぎまで。それから学校へ行って、終わってからまた夕方6時から9時まで練習。夜は毎日。周りは中高生で小学生の私は会話する仲間もいない。本当に嫌で、『選手コース』に入ってすぐにスクールをずる休みするようになり、大学まで見ていただいたコーチの竹村吉昭先生から家に電話が。気持ちを聞きたいというんです。私は水泳やめますと言いに行こうと思った。しかし、今はやさしいのですが、当時はとても怖い先生で、前に座ったらやめるなどとは怖くて言えなくて、でも、バタフライの練習がきつくて嫌なんですと言ってしまった。そうしたら、どうしたら練習に来られるんだと聞かれたので、思わず種目を変えたいと言うと、何の種目なら練習に来られるのかと言うので背泳ぎと答えたんです。

 その理由はというと――練習の最後にやるのが、25メートルが4本とか6本で、その日によって本数は違うのですが、25メートル無呼吸での練習。やらないと帰れない。私はバタフライ。下向きの種目は呼吸すると、すぐにバレるんです。早く帰れるのは背泳ぎの選手たち。絶対呼吸していると思うんですが、バレないから終わって帰る(笑)。私はその練習が苦手で毎日のように泣いていて、背泳ぎの選手がうらやましくて。それで背泳ぎに変わりたい」と言ってしまったのです」

 竹村コーチは「なら背泳ぎの選手でいいじゃないか」とあっさりとOKした。それからは自分で言い出したことなので朝練にも参加するようになり、背泳ぎの選手として頭角を現していった。

「もし竹村先生が種目の変更を認めて下さらなかったら、今の自分はないと思います」

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