【ズバリ!近況】シドニー五輪銀銅の背泳ぎ・中村真衣が明かした本音「ベスト記録より金を取りたかった」

23日に開幕した東京五輪。24日からは競泳がスタート。男女競泳陣の活躍に期待が高まるが、その競泳で背泳ぎの選手としてアトランタ五輪(1996年)、シドニー五輪(2000年)と2大会連続出場し、シドニー五輪では日本の女子で初めてメダルを2つ(銀と銅)獲得したのが中村真衣さん(42)だ。そんな中村さんに当時を振り返ってもらうとともに、近況と東京五輪の競泳選手たちへの期待を聞いた。

シドニー五輪メダリストの中村真衣さん【写真:荒川祐史】
シドニー五輪メダリストの中村真衣さん【写真:荒川祐史】

初出場のアトランタ五輪ではつらい思い出だけ

 23日に開幕した東京五輪。24日からは競泳がスタート。男女競泳陣の活躍に期待が高まるが、その競泳で背泳ぎの選手としてアトランタ五輪(1996年)、シドニー五輪(2000年)と2大会連続出場し、シドニー五輪では日本の女子で初めてメダルを2つ(銀と銅)獲得したのが中村真衣さん(42)だ。そんな中村さんに当時を振り返ってもらうとともに、近況と東京五輪の競泳選手たちへの期待を聞いた。(取材・構成=坂本俊夫)

 中村さんは、高校2年の時、夢だったアトランタ五輪出場を果たした。ところが……。

「アトランタ五輪の選考会では日本の女子選手が世界ランク1、2位くらいの好記録で、本番のアトランタでは日本の女子競泳チームは何個メダルを取るのかと、すごく期待されていて、マスコミも殺到していました。五輪って特別なんだなと感じていたのですが、しかし、ふたを開けたらメダルゼロ。私の4位(100メートル背泳ぎ)が競泳チームの中では一番よく、結果を出せなかった。その瞬間にマスコミは一斉に引いていきました。さらに帰国し空港におりた時、メダリストとそれ以外の人とに分けられてしまう。同じ五輪に出でも、メダルを取るのと取らないのとでは、こんなに違いがあるんだということを高校生の時に感じましたし、加えて、マスコミの方にはメンバーが中高生中心だったから、集中できず、結果を残せなかったとも言われ、悔しかった。そのとき、五輪というのは出るだけじゃなくて、メダルを取らないと認めてくれないのかなと思いました。夢がかなった五輪でしたが、終わった後にはつらい思い出しか残りませんでした」

 中村さんはその時のつらさ、悔しさをバネに、「次の五輪では絶対メダルを」という目標に向けまい進する。当時最先端の科学式トレーニングを導入していた中央大学に進学。1年先輩に田中雅美さん(シドニー五輪女子4×100メートルメドレーリレー銅メダル)が、同期に源純夏さん(同)がいた。

「1年目で初めてスランプになってしまい、当時田中さんや源さんは日本新記録をどんどん出していたんですが、私だけ出せなかった。練習しても記録が出ない。家族にも仲間にも打ち明けられないで、悩んでいました。それを田中さんが気づいてくれて、お手紙をいただいた。彼女も大学1年の時にスランプで大変だったようで、自分を信じて頑張っていれば大丈夫と励ましてくれ、心強かったです」

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