【私の宝物】デビューから60年第一線で活躍する俳優・高橋英樹が語る台本2000冊全て保管してきた意味
初主演作「激流に生きる男」では力不足を痛感
取材の日は“宝物”の中でも代表作の台本を持参。日活映画「上を向いて歩こう」「激流に生きる男」「男の紋章」「けんかえれじい」、そして大河ドラマ「国盗り物語」(NHK)、「桃太郎侍」(日本テレビ)の6冊だ。
「これら1作1作が私に変化を与えてくれた作品です。『上を向いて歩こう』はデビューから6本目、62年に公開された青春映画。故・坂本九ちゃんの同名のヒット曲を元にした作品で、九ちゃん、浜田光夫くん、吉永小百合ちゃん、私ら若い俳優がグループ主演させていただいた日本版『ウエスト・サイド物語』でした。とにかく九ちゃんが大忙しなので、撮影は夜中から朝。当時の映画は1本平均25日かけて撮影していましたから、1か月間、ほとんど毎日、夜の撮影で大変でした。でも、日活の俳優はみんなすごく仲が良くて、学校に通っているみたいで楽しかったです」
「激流に生きる男」(62年)は初主演作。当初は赤木圭一郎と芦川いづみ主演で撮影されたが、赤木が事故で急逝し、高橋さんと吉永小百合が代役を務めた。
「私はまだ本当に下手でしたが、小百合ちゃんは当時から上手かったですよ。一緒に撮影していると、監督に『小百合ちゃん、ちょっと休んでてくれる? 英樹、やってみようか』とよく居残りさせられました。ショックでしたね~。一生懸命やりましたが、結局、完成したシャシン(映画)を赤木さんのものと比べて見たら、私のは2人のシーンもずーっと小百合ちゃんだけを映していました(笑)。苦労して撮っていただいたんだな、もっと勉強しないといけない、と痛感しました」
映画の代表作「男の紋章」が後に時代劇俳優になる基礎に
「男の紋章」は63年に公開され、シリーズ化された高橋さんの人気作。やくざの2代目を堂々と演じた。「けんかえれじい」とともに、今も映画ファンに愛される高橋さんの代表作だ。
「『男の紋章』は男というものを表現するには適した作品でした。自分の中では忘れられない、やって良かったと思える作品ですね」
しかし、家族・親戚には理解されなかった。父親が公立高校の校長を務めるなどカタイ家系で、映画俳優になると勘当され、親戚全員から「うちにはもう来ないでください」と言われたという。
「映画は不良が見るもの、という時代でしたから。でも、オヤジは変装して私の作品は全部、映画館に見に行ってくれたそうです。私とよく似ていて、背も180センチ以上あってごつかったので、周囲にバレバレだったそうですが(笑)。そんなオヤジは『男の紋章』公開前年に亡くなったので、『男の紋章』シリーズは見ていませんし、大河ドラマや時代劇も見せてあげられませんでした。親孝行が全くできず悔やまれます」
「男の紋章」は初めて着物を着て演じた作品でもある。
「着物の着方、歩き方、座り方など何も分からず、(2代目)歌舞伎俳優・尾上松緑に教えていただきました。着物はもとより踊り、芸の師匠ですね。夜な夜な食事をいただきながら、芸談を聞かせていただきました。『芝居を見て下手だな、と思う役者がいたら、それはお前(と同程度)だよ』という言葉はよく覚えていますね。そもそも、芝居がうまいのがどういうことか、分かるまでに8年、本当に理解するまで15年かかりました。当時は自分が後に時代劇俳優になるなんて思いもしませんでしたが、私の基本になった作品です」
「国盗り物語」で高い人気を獲得し結婚へ…
「国盗り物語」は73年放送のNHK大河ドラマ。織田信長役で主演し、大衆的な人気を獲得した。30歳のときの作品だ。
「ようやく役者として食べていける、家族を養っていける、と思いました。この作品終了後、結婚しよう、と思い今があります。演じた織田信長には切っても切れない縁を感じますね」
「桃太郎侍」(76~81年)は“時代劇俳優・高橋英樹”を作った作品としてよく知られる。
「『桃太郎侍』の原作は山手樹一郎先生の同名小説なのですが、先生の小説『江戸群盗記』と混ぜてドラマにさせていただけないでしょうか、と先生にお願いしに行ったんです。本は昔から好きでよく読み、そういう企画の提案はよくするんですよ。でも、監督をやる気はありません。私は何より演じることが好き。俳優は自分と別人になれる唯一の職業で面白い。どんな役でも演じてみたい。演じられるなら、現場で“待ち”が長くても全然苦になりません」
実は、本番直前までにぎやかにおしゃべりしているという。監督や共演者に「ちょっと黙ってください……」と言われることもあるそうだ。
「朝、現場に入ったときから、役になりきって悲しい顔などをしている役者もいますから。でも、私は感情ってそんなに持続しないよな、と思います。楽しいおしゃべりから、本番に入るときにシーンとなってパッと切り替える、その瞬間が好きですね」