「適応障害」乗り越えた元乃木坂46・中元日芽香の今 心理カウンセラーになって思うこと
人気アイドルグループ「乃木坂46」の1期生として約6年間活動した中元日芽香(25)は、2017年末に体調不良を理由にグループを卒業し、芸能界を引退した。そんな中元は現在、通信制の大学に通いながら、心理カウンセラーとして活動している。そして、22日には初の著書「ありがとう、わたし~乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで~」(文藝春秋)を発売した。
「適応障害」を初公表「認知度が上がったらいいなと思って」
人気アイドルグループ「乃木坂46」の1期生として約6年間活動した中元日芽香(25)は、2017年末に体調不良を理由にグループを卒業し、芸能界を引退した。そんな中元は現在、通信制の大学に通いながら、心理カウンセラーとして活動している。そして、22日には初の著書「ありがとう、わたし~乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで~」(文藝春秋)を発売した。(取材・文=中村彰洋)
同書では、アイドル活動中に抱いた葛藤や心理カウンセラーを志した理由など等身大の思いをつづっている。さらには、卒業が「適応障害」が理由であったことも初公表した。なぜこのタイミングで出版を決断したのか、そしてなぜ「適応障害」を公表しようと思ったのか――。中元にインタビューを実施し、現在の率直な思いを聞いた。
「アイドルをお休みしていた時期に、趣味も何も無かったので『何かしなきゃ!』と思ったのと同時に『私の今の気持ちって、復帰して時間がたつとどんどん忘れちゃう。今しか書けない日記があるんだろうな』と思い、書き始めました」
同書の“原型”となったのは、体調不良を理由にアイドル活動を休業していた17年から書き始めた日記だった。そこから約4年、少しずつ筆を進め、ようやく1冊の本にまとまった。
「適応障害」という病名の公表には、とても悩んだという。「伏せることもできたのですが、カウンセラーをやっていく中で、この病気が説明しづらい、誤解されやすい疾患だなと感じました。周りの理解を得ることが難しかったり、適応障害と診断されていない方であっても、実は仕事がつらいという方もいらっしゃるんじゃないかなと思いました」。
「私は診断されたのが2016年。当時は『適応障害ってなんだ?』って、私も最初に聞いたときに思ったんです。調べても情報があまりなく、こういった疾患の認知度が上がったらいいなと思っていました。振り返ったら『適応障害でこんなことあったな』など、時間が経過した今だからこそお話できる立場になったのかなと思い、公表しました」と決断の理由を明かす。
病名の公表と同じくらい悩んだのが“元乃木坂”という肩書を使用するか否かだった。「正直な話をするとサブタイトルに乃木坂を入れるかどうかは悩みました。乃木坂という看板をここで表記するのは……とも思ったのですが、1番に私が望んでいることは、1人でも多くの方にこの本を手に取っていただいて、考えるきっかけや心が動くような気付きを提供できたらということでした。そこを考えたときに『じゃ、拝借してもいいかな』と入れることにしたという経緯があります」。
一方で、「乃木坂色を強く出そうと思ったら強く出せました。例えばメンバーとの具体的なエピソードや個人名を挙げることはできたと思うんです。それがあるとアイドルファンの方にとっては面白い読み物になると思いました。けれど、私自身はそういうことを望んでいるわけではない、と思ったんです」とこだわりも明かした。