待望の義足デビューを飾った谷津嘉章の波瀾万丈人生 ポジティブ思考を貫いた男の次なる目標は
新たな目標も視野「パラリンピックに出たくなってきた」
思えば、2019年6月25日に、糖尿病の悪化からひざ下7センチを残して、右足を切断。アマレスで活躍しプロレスラーとして暴れるなど、それまでのスポーツエリートとして生きてきた人生が激変してしまった。
ただし、ほどなくして気持ちを切り替えられた。持ち前のポジティブな性格で、懸命にリハビリに励み、2020東京五輪の聖火ランナーに選ばれた。76年のモントリオール五輪には出場したものの、金メダルが期待された80年のモスクワ五輪は日本がボイコット。「幻の金メダリスト」と呼ばれたが、誰よりも谷津本人が悔しい想いを、ずっと抱き続けていた。
「これで、俺も五輪の呪縛から逃れられる」と意気込んだが、コロナ禍で東京五輪も聖火リレーも延期された。しかも連絡が来たのは、走行予定日の2日前。コースの下見を終え、足利市長への表敬訪問まですませていた。落胆するな、というのは無理な話だ。さらに6月に予定されていた義足デビュー戦も中止になってしまった。これには、いつも前向きな谷津も意気消沈だった。
今年になっても直前まで聖火リレーは実現が危ぶまれた。ヤキモキする日々。「俺には縁がなかったのか」と、さすがの谷津も落ち込んだ時期もあったが、3月にレスリング人生のゆかりの地である栃木・足利市を、聖火を手に走ることができた。義足デビューもこうして実現できた。
とはいえ、まだまだ満足はしていない。「義足は金属だから、相手にケガをさせてしまいかねない。でも、使い方はあると思う。また試合を組んでもらいたい。まだまだ、こんなもんじゃ、終わらない」と、谷津らしく次を考えている。
そして新たな目標も視野に入ってきた。「パラリンピックに出たくなってきた。俺が出場を狙える種目はあるのか? これから考えたい。俺も64歳だから、早くしないとね」と笑顔だ。
谷津は足を失っても、聖火ランナー、義足デビューを無事に終えた。大きな達成感を味わったのだろうが、燃え尽き症候群のようになってしまう場合もある。だが、谷津は早くも次を見据えている。具体的な目標や希望を持つのは、前に進むために必要なことだろう。
義足はもはや体の一部であり、戦友でもある。外した義足をいとおしむように抱えながら「おりゃ」とポーズ。谷津嘉章の挑戦はまだまだ続く。