【プロレスこの一年 ♯49】アンドレ、ブッチャー、テリー・・・大物外国人の初来日 1970年のプロレス
日プロ後楽園ホールにブッチャーが日本初登場
日プロ8・21後楽園で初来日のアブドーラ・ザ・ブッチャーがカール・ハイジンガーとのタッグでいきなりBI砲と対戦。3本勝負で最終的にはブッチャー組が敗れたが、2本目にはブッチャーが馬場から直接ピンフォールを奪ってみせた。これをきっかけに、ブッチャーはいきなり外国人選手のエース格として注目を浴びるようになったのである。ブッチャーは9・17台東区で、馬場のインター王座に挑戦した。
9月、国際がギリシャからスパイロス・アリオンを初来日させる予定だったが中止となり、代わりにドイツからメッサー・シュミットを初来日させた。アリオンは翌71年2月に日プロへ初登場、ミル・マスカラスと同じシリーズで初来日を実現させることになる。国際は10・8大阪で日本プロレス界史上初の金網デスマッチを敢行。8月に凱旋帰国したラッシャー木村がマスクマンのドクター・デスと乱闘を演じ遺恨が発生。その決着戦の試合形式として突然組まれたのが、金網デスマッチだった。試合は木村がKOでデスを破っている。
ジン・キニスキーとグレッグ・バレンタインが日プロ11・27横浜から参戦。66年に東京プロレスで激闘を展開していたバレンタインと猪木が再会の一騎打ちを行い、45分時間切れ引き分けに。12・1東京ではキニスキー&バレンタイン組がBI砲のインタータッグ王座に挑戦。試合はリングアウト決着で馬場&猪木組の防衛となった。しかし、12・3大阪でキニスキーが馬場を破りインターナショナルヘビー級王座が移動。馬場は19度目の防衛に失敗し、キニスキーが新王者となった。それでも馬場はアメリカに渡り、12月18日のロサンゼルスにてキニスキーから奪回に成功、ベルトを取り戻してみせた。
国際は12月12日、東京ではじめての金網デスマッチを行い、木村とオックス・ベーカーが対戦。木村がKO勝利を収めるも、右脚複雑骨折により長期欠場をしいられることとなった。(文中敬称略)