【プロレスこの一年 ♯49】アンドレ、ブッチャー、テリー・・・大物外国人の初来日 1970年のプロレス

力道山がプロレスを日本に持ち込んで以来、外国人レスラーの存在は欠かせないリング上のスパイスだ。現在、新型コロナウイルス禍で招へいが困難な状況が続いているものの、収束後には再び世界を股にかけた往来が活発になるだろう。今から51年前の1970年(昭和45年)は、のちに国民的人気を得るレスラーも含め、大物外国人の初来日が数多く実現した年でもあった。今回は、70年のマット界を振り返る。

ロシモフという名前で日本初上陸を果たしたアンドレ(写真は83年)【写真:平工 幸雄】
ロシモフという名前で日本初上陸を果たしたアンドレ(写真は83年)【写真:平工 幸雄】

国際のリングで伝説のスタートを切った大巨人

 力道山がプロレスを日本に持ち込んで以来、外国人レスラーの存在は欠かせないリング上のスパイスだ。現在、新型コロナウイルス禍で招へいが困難な状況が続いているものの、収束後には再び世界を股にかけた往来が活発になるだろう。今から51年前の1970年(昭和45年)は、のちに国民的人気を得るレスラーも含め、大物外国人の初来日が数多く実現した年でもあった。今回は、70年のマット界を振り返る。

 70年の日本プロレス界は、のちにアンドレ・ザ・ジャイアントと改名するモンスター・ロシモフの出現で幕を開けた。フランスからやってきた身長218センチ(当時)の大巨人は、国際の岡山大会、岡山県体育館のリングで日本初上陸。カシモドとのタッグでサンダー杉山&田中忠治組と対戦し、ロシモフが田中からギブアップを奪い、伝説のスタートを切ったのである。1・18福岡では、豊登の引退表明で返上されたIWA世界タッグ王座をマイケル・ネイダーとのコンビで杉山&グレート草津組を王座決定戦で退け、いきなり初戴冠。しかし、2・3広島における再戦で敗れ、2週間天下に終わっている。同大会には初来日を果たした“AWAの帝王”バーン・ガニアが初戦でいきなりストロング小林と30分時間切れ引き分け。2・5大阪&6東京ではガニアのAWA世界ヘビー級王座をかけ両者が再戦のタイトルマッチ2連戦を行い、ガニアガ1勝1分けで連続防衛を果たすとともに、9日には盛岡で草津の挑戦も退けた。

 5・14台東区では「第2回IWAワールド・シリーズ」決勝戦が行われ、小林を破ったビル・ロビンソンが68年12月に続き連覇を達成。しかし5日後の仙台で杉山に敗れ、優勝での王者認定以来はじめての王座陥落、杉山が第2代王者となった。一方、日本プロレスのリーグ戦「第12回ワールドリーグ戦」は5月29日、日大講堂にて決勝戦を行い、ジャイアント馬場がドン・レオ・ジョナサンに勝利し、2年ぶりの優勝を成し遂げた。

 7月にはエドワード・カーペンティアとジャック・ラサルテスが初来日を果たし、両者が初戦の7・8横浜で一騎打ち。試合は引き分けに終わったが、カーペンティアがサマーソルトキックを初公開し、“マットの魔術師”と呼ばれる片りんを見せつけた。日プロではNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンクJr.が2度目の来日で弟テリー・ファンクを帯同。テリーにはこれが初来日で、7・28横浜でアントニオ猪木とシングルマッチで激突。結果は、テリーの反則負けだった。兄ドリーは2日後の大阪で馬場のインターナショナルヘビー級王座に挑戦。両者リングアウトの引き分けにより、馬場が王座防衛に成功した。8・2福岡では猪木がドリーのNWA世界王座に挑戦し、60分フルタイム戦い抜いてのドロー。ドリーがベルトを守り抜いた。さらに2日後の8・4東京体育館ではドリー&テリー組が馬場&猪木組のインターナショナルタッグ王座に挑戦。馬場組が勝利し、BI砲の防衛となった。

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