コロナ禍を打破 創業187年目の千疋屋総本店が描く新戦略「いかにこちらからお客様に近づいていくか」

日本橋にある総本店は1階が店舗、2階がレストランになっている。店頭には今が旬のマンゴーも【写真:ENCOUNT編集部】
日本橋にある総本店は1階が店舗、2階がレストランになっている。店頭には今が旬のマンゴーも【写真:ENCOUNT編集部】

一番人気は夏に出る桃のパフェ

――それでも千疋屋の持つブランド力は他の追随を許しません。ブランドを保つ秘訣はどこにありますか?

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「ブランドと思ったことはないんですよ。代々受け継がれていることをやるだけですね」

――やっぱり量より質ですか?

「そうですね。そのためには手間隙を惜しまないこと。ウチは果物屋であってメーカーじゃないんです。要は、自分たちで果物を作っているわけではなく、農家の方々に作っていただいたおいしいものをいかに良い状態でお客様に提供するか」

――いわゆる付加価値だと思いますが、それを惜しまないことでしょうか?

「お客様の評価って2つしかないと思うんです。ひとつ目が『さすが千疋屋だ』というもの。もうひとつが『千疋屋ともあろう店が』っていう評価ですよね。もちろん、我々が目指しているのは、常に『さすが』と言われるようになることなんですね」

――常に「さすが」と言われる存在を目指すと。

「その分、接客にも気を使っていますし、お客様に食べていただくにはどのタイミングがベストなのか。食べごろの状態を見極めるための経験値やノウハウを持っています。要は、生産者とお客様との橋渡し役であり、お届け先との思いの橋渡しを担っていると思います。どうすれば大切な方に思いを伝えられるか。そのお手伝いができればうれしいですね」

人気のフルーツサンド【写真:ENCOUNT編集部】
人気のフルーツサンド【写真:ENCOUNT編集部】

――今後の戦略について、言えることはありますか?

「まずこれは最近の話なんですけど、ロゴ(シンボルマーク)を新しくリファインしました」

――ロゴを?

「まだウェブだけなんですけど、ここから徐々にこのロゴの露出も増えていくと思いますし、我々も変わっていくという意思表示の現れだと思ってもらえれば。見た目には大きく変わっていなくとも、少しずつ進化していきますよ。それと我々は果物屋なんですね。だからおいしい果物をどうすればお客様に届けられるか。それを常に考えているんですけど、実は日本人の果物の消費量は決して高くないんです」

――そうなんですか。

「どんどん落ちているんですよ、日本の果物の1人当たりの消費量って。中国や韓国よりも果物を食べない国民なんです」

――それは意外ですね。

「そうなんです。日本にはおいしい果物がたくさんあるのに、世界的にはものすごく評価が高いのに、日本人がそれを食べないのはなぜか。それをずっと考えているんですけど、よく言われるのは『種があるから食べにくい』『皮をむくが面倒』『(値段が)高い』『食べ頃の見極めが難しい』ですね。ケーキや和菓子を始め、ほかにもおいしい食べ物があることも理由の一つなのでしょう」

――選択肢の多さが果物離れを招いていると。

「だからそういったことを解決してお客様に提供させていただくのが僕らの役目かなと思っています。それがケーキでありジュースだと思うし、少しでも果物に食べていただくのが僕らの使命かなと。やっぱり我々としては、日本の農家を守らなきゃいけない意識もありますし、もっともっと果物の消費量を上げていきたいですね。それが使命であり、それがレゾンデートル(存在意義)だと思っています」

――なるほど。

「当店としては『ワンランク上の豊かさ』がキーワードになりますけど、使い古した言葉では『自分へのごほうび』ですね。『頑張ったから、たまには千疋屋の果物を食べるか』と。そういう存在でいたいと思っています」

――最後に、フルーツパーラーの一番人気の商品を教えてください。

「一番人気はこれからの季節になりますけど、桃のパフェですね。これは7月頭から8月半ばにかけて食べられます。年間を通じて、圧倒的にこれが一番人気です。1日に200とか300食は出るんじゃないですかね。でも、年によっては100食の桃のパフェを作ろうと思ったら、300個くらいの桃を使うんです」

――1日に、ですか?

「そうです。品質の良い桃しか使わないですから。ただ、どうしても桃にはアタリとハズレがあるんですね。例えば100個の桃があったとしても、全部が全部おいしい桃というわけにはいかなくなる。それと桃の場合はとくにですけど、例えば買って帰ったとしても、食べ頃や保存方法にしても見極めるのが難しい。いくら糖度計で測ったとしても、結局それだけじゃないですからね。本当はフルーツパーラーで食べるのが一番おいしいと思います。早くまた、パーラーのほうにお客様が安心して足を運んでもらえる日が来てほしいですけどね」

【千疋屋の歴史】
時は江戸時代の後期。武蔵野国埼玉郡千疋村(現在の埼玉県越谷市)に大島流の槍術の道場を開いていた大島弁蔵という御仁がいた。ある時、弁蔵は千疋村付近で取れる桃、すいか、まくわ瓜などの果物や野菜を農作物を江戸の人たちにも食べてもらいたいと考えた。幸い、夜に船に積み込めば、朝には江戸に着く船便があった。そこで弁蔵は江戸で一番ともいわれた盛り場の葺屋町(現在の日本橋人形町3丁目)まで農作物を運ぶようになる。これが現在の千疋屋につながっていく。創業後は今日までの間に「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」とのれんわけも行い、千疋屋グループ3社が誕生。お互いに競い合い、友好関係を保ちながら今日まで成長してきた。

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