渡部修斗を直撃 下馬評不利も朝倉海戦に自信「これだなっていうのが浮かんできた感じですね」
2010年正月、両親に格闘技がやりたいと宣言 母から渡された封筒には…
渡部の父は、修斗の初代ウエルター級王者でもあった渡部優一。だが、渡部は英才教育を受けてはこなかった。学生時代はレスリングに取り組んではいたものの、格闘技をやりたいとも思わなかった。ではなぜ格闘技を始めることになったのか。
――父親である渡部優一さんがタイトル戦を防衛した際のものなのか、リング上でお父さんに抱っこされている画像がありましたね。
渡部「あれは2歳の時なんですけど、あの時の記憶は、高いところにいるなってそれくらいですね」
――子どもの頃から格闘技的な教えはされなかった?
渡部「子どもの頃に『柔道を習え』って言われて柔道をやって、次はレスリングをやらされて。単純にキツいなって感じでしたね。サボれないじゃないですか。小学生の時から週5日、月曜~金曜までずっと通わされていて。両親からは『レスリングで五輪に行ってメダルを取ってほしい』って言われていて、中学生の頃までは漠然と行けるんじゃないかと思っていたけど、高校に入るとなんとなく分かってくるじゃないですか。これ、五輪ってメチャクチャ厳しいぞ。選ばれた人間しかいけないぞって」
――自分の実力が分かってきた?
渡部「ええ。俺はとてもそこに入れる気がしないんですよ。だから大学も両親的にはレスリングをやらせる気満々だったんですけど、自分は嫌だと思って、レスリングをやらずに大学生活を普通に送っていましたね」
――となると、どのタイミングで格闘技がやりたいに変わっていくんですか?
渡部「それは2009年大晦日にあった『Dynamite!!』で、さいたまスーパーアリーナに行ったんです。魔裟斗さんの引退試合に」
――魔裟斗さんが好きだった?
渡部「好きでした。(魔裟斗は)総合格闘技じゃなく立ち技なんですけど。とくに引退間近の、K-1MAXの世界トーナメントで2回目に優勝していた後くらいの時期ですね。しばらく映像を見ていました。今もYouTubeで見ますね」
――実際に会場に行ってみて、どう感じました?
渡部「初めて格闘技を見たら、演出とか熱気とかテレビと全然違うと思って。あれはテレビじゃ伝わらないですね」
――そこで何かを感じて、すぐに両親には伝えたんですか?
渡部「正月に実家(群馬)に帰って話をしたら『ヤメたほうがいい』って反対されて。『お前にはセンスがない』『危ないからヤメろ』って。確かにレスリングでは全国大会には出られたけど、上に行けるわけじゃなかったくらいの実力だったから、客観的に見たらそうなのかもしれない」
――それでも諦めきれなかった?
渡部「正月が終わって、東京の自宅に戻る時に、実家の最寄りの駅まで車で送ってくれるんですけど、お母さんが封筒を渡してきて。『これはジムの入会金とか月謝に使いなさい』って。その頃、お金を持っていなかったから、最初にかかるお金はためてからじゃないと格闘技を始められないと思っていたんですけど、そのおかげで気持ちが変わることなく始められましたね。もしあの時にそのお金がなかったら、『やっぱヤメよう』って思ったかもしれないです」
――格闘技を始めてからは、お父さんを引き合いに出されたりしたんですか?
渡部「最初はありましたね、重荷っていうか。自分は多少レスリングはできたけど、それが格闘技ができるにはつながらなくて。だけど周りはその入りで見ちゃうので。格闘技を始めて2年経った頃、初めてアマチュアMMAの試合に出たんですけど、その時もそんな風に見られているのが分かるんです。とにかく注目しないでくれって思っていました。だって格闘技を始めたばかりの素人だし、弱いから期待しないでくれって思っていたし。シンドかったですね」