「金網の鬼」「国際軍団」「マイク」…多彩なスタイルでファンを熱狂させたラッシャー木村さんの思い出【連載vol.42】
「金網の鬼」「国際軍団」「マイク」……ラッシャー木村さんほど、振り幅の広い活躍をしたレスラーはいないのではないか? ファンの抱くイメージも、世代によって「怖い」「憎たらしい」「強い」「楽しい」…さまざまだろう。
毎週金曜午後8時更新「柴田惣一のプロレスワンダーランド」
「金網の鬼」「国際軍団」「マイク」……ラッシャー木村さんほど、振り幅の広い活躍をしたレスラーはいないのではないか? ファンの抱くイメージも、世代によって「怖い」「憎たらしい」「強い」「楽しい」…さまざまだろう。
2010年5月24日に68歳で亡くなった木村さん。間もなく11回目の命日だが、その勇姿が、現在もいろいろな団体や、さまざまなファイトスタイルからよみがえってくる。
大相撲から1964年に日本プロレス入りした木村さんは、翌65年にデビュー。東京プロレスを経て国際プロレスで活躍し、70年10月8日には、大阪府立体育会館で日本初の金網デスマッに臨んだ。
金網作りのノウハウがなく、設営するのも大変だったようだが、ドクター・デスを相手に血だるまで奮闘する木村さんに、ファンは度肝を抜かれた。
「ハハシ、ハハシ、ハシハシ・・・ハハシ」という独特の息遣いで前へ前へ。持ち前のラッシングパワーでオックス・ベーカー、ザ・クエスチョンら悪漢外国人選手を痛めつける。
テレビ中継では流血が激しくなると「あまりにも凄惨な場面のためお見せできません」というテロップが流れ、優雅に泳ぐ白鳥の映像が映し出された。ただし、音声は流れており、木村さんの悲鳴、うめき声と白鳥の映像とのギャップは、今でも忘れられない。現代のデスマッチファイターの原点は木村さんにある。
81年の国際プロレス崩壊後は、新日本プロレスに乗り込んだ。アニマル浜口、寺西勇と「国際軍団」を組み、猪木らと抗争を繰り広げた。その情念がにじみ出てくる悲壮な闘いは、一大ブームを呼ぶ。
新日本ファンからは嫌われ、自宅の壁には生卵が投げつけられた。心ないファンの中には、木村さんの愛犬・熊五郎にまで、ちょっかいを出す者までおり、熊五郎は円形脱毛症になってしまった。これには「俺は仕方ないけど、犬にはやめてほしいよね。犬は本当にかわいい。恩も義理も忘れない。裏切ったりウソついたりしないから」と、ボソッとつぶやいた。それ以上のことは決して語らなかったが、木村さんの苦難の人生を垣間見たような気がした。
旧UWFに短期参戦後、84年の「暮れの風物詩」世界最強タッグ決定リーグ戦で、ジャイアント馬場のパートナーとして、全日本プロレスに登場する。その後、馬場と対立したが、88年には馬場を「アニキ」と呼び「義兄弟タッグ」を結成。ファミリー軍団となった。
悪役商会との対戦後、ユーモアあふれる数々のマイク・パフォーマンスを披露する。独身の渕正信に結婚を勧めるのが定番だった。今では多くの選手がマイクを手にするが、その度に、この頃の木村さんを思い出す。面白さに加えて、真面目で実直、温厚な木村さんの素顔が伝わってきた。