“野人”中西学 万感の思いを込めてプロレス人生に終止符…引退会見の一問一答全文

新日本プロレスは7日、都内で「WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム」の二夜明け会見で中西学選手の現役引退が発表された。これを受けて2月22日の後楽園ホールで「中西学 引退記念大会」の開催が決定した。

涙を浮かべ、万感胸に迫る思いを語った中西
涙を浮かべ、万感胸に迫る思いを語った中西

首のケガが原因で思うような戦い方ができなくなった

 新日本プロレスは7日、都内で「WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム」の二夜明け会見を行い、中西学選手の現役引退が発表された。これを受けて2月22日の後楽園ホールで、「中西学 引退記念大会」の開催が決定した。

 中西選手の引退は2冠王者内藤哲也の会見後、菅林会長から突然発表された。高校時代からアマレスで活躍し、全日本4連覇を達成。1992年にバルセロナオリンピックに出場し、その年の10月に新日本プロレスからデビューした。強靭な肉体から繰り出されるケタ外れのパワーが持ち味で、“野人”のニックネームで多くのプロレスファンに愛されてきた。しかし、試合中に負った首の大けがが原因で長期欠場となり、復活後も古傷をかばいながらの戦いが続いていた。

 この日は黒のスーツで現れた中西選手は、緊張感漂う会見場で、深く一礼をし、会見に臨んだ。

「2020年2月22日、後楽園ホールで引退をいたします。首のケガが原因で、思うような戦い方ができなくて、この状態で続けているよりも、しっかりとけじめをつけて、いつまでも『昔はあんなことができた』というよりも、今まだ自分の中に残されている熱いものを、2月22日までに、全部使い切って、思い切り、引退までダッシュして、見事にレスラー人生をまっとうしたいです」

 時折、目に涙を浮かべながら、万感の思いを込めて記者の質問に一語一語ゆっくりと語った。

――現時点で、最後に戦いたい選手、引退までに戦いたい選手は?

「誰とでもやりたいですよ。どんな相手とでもやりたい。まず、新日本プロレスが用意してくれる試合をやりたい。新日本プロレスが最強だと思って、自分もそうなりたくて、新日本プロレスに入団しましたから。その新日本プロレスが今、自分に対して、組んでくれるものは、最高の試合になるはずです。そのために、すべてを集中させて、2月22日まで突っ走っていきたいです」

――引退を決意されたのは、いつでしょうか。

「昔の動きができない時期があったので、気持ちの中で、これはどうすることもできんのかって、去年の暮れぐらいから、会社とも話して、今回に至ったわけです。ケガからの驚異的な回復があったんですが、その先に進めなかった。自分が行きたいんだけど、行けないというところがあって、これは責任を取るしかないなと思った。こういう状況でプロレスを続けているのは、自分が好きだったプロレスに対して、してはいけないことだと思いました」

「WRESTLE KINGDOM14」イッテンヨンで第三世代が激突した【写真:山口比佐夫】
「WRESTLE KINGDOM14」イッテンヨンで第三世代が激突した【写真:山口比佐夫】

第3世代への思い

――同じ第3世代の永田(裕志)選手、小島(聡)選手、天山(広吉)選手に言うことがあるとしたら?

「残された試合が何試合あるか、わからないが、そのすべての試合に、この3人には協力してほしいですし、一緒に戦いたい。ずっとそばにいた3人ですから。思い入れも、肌で感じているものもありますから、それを感じながら最後をまっとうしたいですね」

――振り返ってみて、思い出に残っている試合は?

「この3人と戦ったシングル戦ですよね。本当に数限りなくやっているし、アメリカでの修行から帰ってきた時も、当たってますし、どの試合もその時のベスト、意地を出してやりました。みんなそれぞれ得意なところや苦手なところがあるけど、何を出されても負けたくないし、苦手なものだと負けてしまうが、チャンスがあれば、自分の得意な方に持っていくという戦いをずっとしてきた。彼らが不甲斐ない試合をすると、すごく悔しい思いもしますよね。俺だったら、こんな試合はしないだろうなとか。逆に永田も天山さんも小島さんもそういう気持ちがあったんではないでしょうか。とにかく、協力してくれると思うが、こちらからもお願いして、どんどん絡んでいきたいですね」

――引退後のビジョンは?

「会社と話をさせてもらって、今後を決めていこうと思っています。現時点で具体的なことは、はっきりしていないです」

――東京ドーム大会の試合後、深々と礼をしていましたが、どのような思いがありましたか。

「久しぶりのドームでした。若い頃は、お客さんとハイタッチなんかしなかったけど、ここ2、3年は、するというか、面白い。自分が子供の時に手を出していたから、そういう風なことがあってもいいじゃないかと思った。もしかして、ハイタッチした子の中で、それがきっかけで、プロレスを目指してくれる子もいるかもしれない。40代くらいまでは、ファンの人に対して塩対応でしたけど(笑)、最近は、そういう時間を取ったりしています」

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