【プロレスこの一年 ♯46】アントニオ猪木が日本マット界初の賞金マッチ 「夢のオールスター戦」で8年ぶりのBI砲 79年のプロレス
今から42年前の1979年(昭和54年)のこの時期(5月10日)、新日本プロレスのアントニオ猪木が日本マット史上初の賞金マッチを敢行。新日本初参戦のジャック・ブリスコを相手に、自身が保持するNWFヘビー級王座とともに賞金をかけての試合が行われた。この試合に勝った猪木は試合後、現金をリング上からばらまいた。いまでいうレインメーカーの元祖は、やはり猪木の作ったリングにあったということか。また、79年は国際、新日本、全日本の3団体が集結する「夢のオールスター戦」が実現した年としても記憶されている。今回は、79年のプロレス界を振り返る。
猪木がジャック・ブリスコを相手に賞金マッチ
今から42年前の1979年(昭和54年)のこの時期(5月10日)、新日本プロレスのアントニオ猪木が日本マット史上初の賞金マッチを敢行。新日本初参戦のジャック・ブリスコを相手に、自身が保持するNWFヘビー級王座とともに賞金をかけての試合が行われた。この試合に勝った猪木は試合後、現金をリング上からばらまいた。いまでいうレインメーカーの元祖は、やはり猪木の作ったリングにあったということか。また、79年は国際、新日本、全日本の3団体が集結する「夢のオールスター戦」が実現した年としても記憶されている。今回は、79年のプロレス界を振り返る。
76年3月のバーン・ガニア戦でスタートしたジャンボ鶴田「試練の十番勝負」が3年越しで最終戦。全日本1・5川崎で迎えた最後の相手は“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックで鶴田が勝利、4勝2敗2分けで完走した。
国際の1・21後楽園には、新日本のヤマハ・ブラザーズ(山本小鉄&星野勘太郎)が乗り込みアニマル浜口&グレート草津組のIWA世界タッグ王座に挑戦。ヤマハ・ブラザーズが勝利し、新日本にベルトをもたらした。その後、国際のマイティ井上&浜口組が新日本2・23千葉で奪還に成功した。
1月25日、猪木がウガンダのアミン大統領と異種格闘技戦で対戦すると衝撃発表。レフェリーをモハメド・アリがつとめることも明かされたが、このプランはウガンダの政変により実現することはなかった。新日本では翌日、岡山にて坂口征二がジョニー・パワーズを破り北米ヘビー級王座を奪取。坂口にとっては、これが新日本移籍後はじめてとなるシングル王座だった。2月5日、新日本の新間寿営業本部長が「日本プロレス・コミッション」の設立を発表。新日本と国際が名を連ねるも、そこに全日本の名前はなく、全日本側が「一方的」との理由から拒否したことが明らかになる。結局、日本マット界をまとめ上げるコミッション制度が確立されることは幻に…。その翌日、猪木が大阪で“謎の覆面空手家”ミスターXを相手に「格闘技世界一決定戦」を敢行したのだが、“格闘技世界一”の冠にミソがつく内容となってしまう。猪木は4・3福岡にて「格闘技世界一決定戦」の仕切り直し。レフトフック・デイトンをバックドロップからKOしてみせた。
2月10日、シカゴでジャイアント馬場がアブドーラ・ザ・ブッチャーを破りPWFヘビー級王座を奪取。前年6月にキラー・トーア・カマタに奪われ、ビル・ロビンソンからブッチャーへと渡っていたベルトを8か月ぶりに取り戻した。馬場にベルトを奪われたブッチャーだが、4・6秋田にて鶴田を破り、「チャンピオン・カーニバル」2度目の優勝を達成した。
新日本のシングルリーグ戦「第2回MSGシリーズ」では、ブリスコとの賞金マッチを経た猪木が6・7蔵前での決勝戦でスタン・ハンセンを破り連覇。その1週間後、記者会見にて「夢のオールスター戦」実現の発表が行われた。その2日後の6月16日、新日本がパキスタン遠征。猪木はジュベール・ペールワンと引き分け。18日にはタイガー・ジェット・シンとカラチで対戦し、この試合も引き分けとなった。
7月20日、国際の大館大会ではラッシャー木村VSアンドレ・ザ・ジャイアントのIWA世界ヘビー級王座戦が行われ、両者リングアウトのドロー。規定により木村の防衛となった。また、この大会では初来日のダイナマイト・キッドが阿修羅原のWWUジュニアヘビー級王座に挑戦。自身が保持する英連邦ジュニアヘビー級王座も懸けられた試合は両者リングアウトに終わり、どちらも防衛となった。翌日の村上大会で木村はアレックス・スミルノフに敗れ王座陥落。しかし7・25三島でスミルノフからIWA世界ヘビー級王座を奪い返してみせた。
新日本が8月27日、初のカナダ・カルガリー遠征を実現させた。猪木はハンセンを退けNWFヘビー級王座を防衛。WWFジュニアヘビー級王者の藤波辰巳は、国際への参戦を終えたキッドと引き分けた。