世界中のファンが駆けつける「ミスターデンジャー」松永光弘のお店はコロナ対策もバッチリの名店だった

「ミスターデンジャー」松永光弘が、先の見えないコロナ禍とのデスマッチで健闘している。

現役時代と変わらぬポーズを決める松永光弘だが、その表情は柔和に【撮影:柴田惣一】
現役時代と変わらぬポーズを決める松永光弘だが、その表情は柔和に【撮影:柴田惣一】

自ら飼育していたピラニアやサソリをリングに…

「ミスターデンジャー」松永光弘が、先の見えないコロナ禍とのデスマッチで健闘している。

 稀代のデスマッチファイターとして世界中のレスラー、プロレスファンにその名を知られる松永。世界格闘技連合W★INGのデスマッチ路線をけん引し、さまざまな伝説を残している。

 1992年2月には、後楽園ホールの2階バルコニー席から決死のダイブ。6メートル以上を舞い降りる偉業を達成し、皆の度肝を抜いた。「ミスターデンジャー」の異名は、この時に誕生したと言われている。

 どんどん過激になるW★INGのデスマッチの最前線に立ち、93年にはFMWで大仁田厚とのデスマッチで名を上げていく。大仁田がFMWを去ると「新生FMW」のデスマッチ路線を支えた。

 96年には大日本プロレスに乗り込んだ。温めていたデスマッチプランを次々と実現。「ワニデスマッチ」を始め、自ら飼育していたピラニアやサソリをリングにあげている。

 その後も幅広い団体で活躍。2009年に引退後は、料理の腕前をいかし、飲食業でもその名を轟かせた。現在はステーキハウス・ミスターデンジャー 立花本店で、オーナーシェフとしてステーキを焼いている。

 お店はステーキやハンバーグの味にひかれるお客さん、日本のレスラー、ファンは元より、海外からデスマッチ戦士やファンが訪れる大人気店として知られている。卓上にはさまざまな種類のこだわりのステーキソースが置かれ、バラエティーに富んだ味が楽しめる。まるで松永のデスマッチのようだ。

 コロナ禍にも消毒、換気、ソーシャルディスタンスやマスク会食など万全の対策を取り、午後4時の開店と同時に満席になるなど、コロナとのデスマッチでも優位に戦いを進めている。

 工具など複数のモノを改造して楽器を作るのも得意で、R-1のアマチュア動画グランプリに自作楽器を演奏する動画を応募し優勝している。頭の回転が良く、アイデアも豊富で器用なのだ。また、松永を慕う芸人も多く、店を訪れ舌鼓を打っている。

 ファンサービスで、忙しい厨房から出て来て話す松永は腰が低くソフト。リング上からは想像できないほど、穏やかな口調と温和な対応に驚かされる。そんな松永の人柄も店の人気に拍車をかけている。

 常連客の1人は「マスター、忙しそうだけど大丈夫かな。ずっと立ちっぱなしで焼きっぱなしだからね」と、松永の体を心配していた。

 デスマッチファイターから華麗な転身を果たしたミスターデンジャー。豪快にお肉を切り分け、ファイヤーデスマッチのように焼き上げるファイトで、コロナに負けず、頑張っている。

次のページへ (2/2) 【写真】自作楽器の音色をイベントで披露した松永光弘、実際の写真
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