思わず吹き出す「顔ハメ看板」で新年から福笑い。顔ハメ看板の魅力をウォッチ
人生1度はハマってみたことのある「顔ハメ看板」。家族と観光の記念に、仲間とウケ狙いに「パシャリ!」そんな誰もが知ってる、あの看板に魅せられ、タモリ倶楽部にも出演するなど、一躍そのジャンルの有名人となった「顔ハメ看板ニスト」塩谷朋之氏(39)の独特の世界観に迫る特集を2回に渡って紹介する。
おもしろ「顔ハメ看板」の名作と達人のインタビュー第1弾
人生1度はハマってみたことのある「顔ハメ看板」。家族と観光の記念に、仲間とウケ狙いに「パシャリ!」そんな誰もが知ってるあの看板に魅せられ、タモリ倶楽部にも出演するなど、一躍そのジャンルの有名人となった「顔ハメ看板ニスト」塩谷朋之氏(39)の独特の世界観に迫る特集を2回に渡って紹介する。
塩谷氏は、2019年10月に観光と顔ハメ看板を融合した著書「顔ハメ百景 長崎天領ぶらぶら編」(阿佐ヶ谷書院)を発表し、地元長崎では観光の起爆剤という評価を受け、今後、顔ハメ看板が日本の観光にも一役買いそうな気配も見えてきた。そんな達人が語る顔ハメ看板の魅力と思わず吹き出してしまう顔ハメ写真の数々、特集1回目は顔ハメ看板の出会いについて語ってもらいながら代表的な作品を紹介していこう。
テレホンカードにハマり、パンクにハマった顔ハメ前の塩谷少年
振り返ると小さい頃からコレクション癖がありました。テレホンカードだったら何でも、キャラメルのおまけのカードとか。でもある時、これは違うなと、ゴールがあるものって集めたらもうそれで終わりじゃないですか。次にハマったのがインディー系のパンクミュージック。フリクションとか70年代のロックも大好きで、マイナーになればなるほど熱くなる。でもその分野のマニアもたくさんいて、いくらやっても「自分の形」にはならない。だから振り返ると自分じゃないとできないことを小さい頃からずっと探していた気がします。
「顔ハメ」初期衝動
「顔ハメ看板」も初めはただ撮って遊んでいただけなんですが、ある日、ビニールハウスに捨てられていた看板を見て、その姿にちょっと心を痛めてしまい、お店の人に「よかったら看板を撮らせてくれないか」と頼んだら、「そんな熱心な人がいるなら、もう一度置きましょう」と。おじさんはその看板をキレイにして置いてくれたんです。「そうか、看板て誰かのために作られたものなんだ」って。その体験がきっかけで、もっと色んな所に行って誰かのために作られた看板に触れてみたいって思ったんです。
テレビや新聞で取り上げられ一躍有名に
看板があるところを調べたら消防署が多いとわかって、始めは学生でお金がなかったので、週末は自転車で消防署を回っては「看板あります?」って聞いて撮ってました。顔ハメ写真も枚数がいかないとクレイジーな面が出てこないから面白くない。なので当時はインパクトの目安をだいたい1万枚くらいと考えていました。就職してからも撮り続けて、SNSにその写真を上げていたところ、フリーペーパーや北海道のテレビ局で、僕の写真を取り上げてもらって、なかでも一番大きかったのは2014年に出演させていただいたタモリ倶楽部でした。妻がタモリさんの大ファンだったのですが、当時出産間近で、現場に連れて行ってあげられませんでした。それから新聞やネットニュースでもたびたび紹介してもらい、本も出版させてもらうことができました。