第70回紅白歌合戦取材の舞台ウラ 増えた写真撮影NG、こんなに違う今と10年前
ネタが弱いときに頼りになった大御所、80年代後半はさらに自由だった!?
当時は紅白を取材していたのは、記者会の加盟社のスポーツ紙の芸能記者、週刊誌記者、カメラマンで、その数はせいぜい30~50人といったところだった。記者は大抵、顔見知り。紙面では競いつつも、時に譲り合いつつ、聞き漏らした取材を他社の記者から教えてもらったりもした。取材場所はNHKホールのほかに、リハーサル室のロビー。さらには記者会のメンバーだったので、局内を自由に歩くことができた。
年末はスポーツ界も休みに入るので、紙面全体がネタ薄になり、普段は中面に収まっている芸能班の出番。会社からは一面、少なくとも最終面を飾ることを期待されている。ネタてんこ盛りの紅白ではあったものの、時にはネタが弱い時もある。そんな時に頼りになったのは北島三郎さん、和田アキ子さんといった「芸能界のご意見番」と呼ばれた大御所の存在だった。
特に、演歌系の方々は日頃、音楽記者との親交もあったので、リハーサル室のロビーで囲むことも多かった。「今日は北島三郎さんのリハーサルがあるので、“サブちゃん、芸能界を叱る”という見出しができるな」というわけだ。北島さんも和田アキ子さんも、期待されたものを重々承知していて、必ず見出しが立つような話をざっくばらんにしてくれた。記者と取材対象の距離感が近かったからこそ、面白い話も聞き出せたんだと思う。
また、先輩の週刊誌記者から伺うと、80年代後半はさらに自由だったようだ。司会者とプロデューサーの面談にも入れたし、リハーサル室の内に入ることができた。「リハーサル室のロビーでカメラマンのフラッシュを浴びた(中森)明菜ちゃんが『フラッシュで気分が悪くなった』と怒った時もあった。それでも、リハーサル室でも取材ができた。明菜ちゃんがプロデューサーに文句を言っている場面も目撃して、記事にした」と話していた。
振り返ってみれば、昔の紅白取材は面白かった。だが、いくら昔を懐かしんでも仕方のないこと。時代が変わる。変わったのだ。私自身もスポーツ紙記者からフリーランスになって、今はネットメディアでこうして記事を書いている。しかし、伝えるものは変わっていない。エンタメの世界の面白さを自分なりに追求し、読者の方々にお伝えしたい。そんなことを思った紅白だった。どうか、素晴らしい紅白になることを! そして、みなさん、良い年末年始を!