【プロレスこの一年 ♯41】「橋本真也負けたら即引退」の衝撃 全日本の分裂とNOAH旗揚げ 00年のプロレス

今から21年前の2000年、テレビ地上波放送で8年3か月ぶりにプロレスのゴールデンタイム生中継が行われた。「ワールドプロレスリング」を放送するテレビ朝日が4月7日、「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル」と題した特番を東京ドームからオンエアしたのである。

橋本のカムバックを祝う「折り鶴兄弟」(00年10月)。現在兄は番組プロデューサー、弟はタレントとして活躍【写真:平工幸雄】
橋本のカムバックを祝う「折り鶴兄弟」(00年10月)。現在兄は番組プロデューサー、弟はタレントとして活躍【写真:平工幸雄】

高視聴率を記録した8年3か月ぶりのゴールデンタイム生中継

 今から21年前の2000年、テレビ地上波放送で8年3か月ぶりにプロレスのゴールデンタイム生中継が行われた。「ワールドプロレスリング」を放送するテレビ朝日が4月7日、「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル」と題した特番を東京ドームからオンエアしたのである。

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 94年バルセロナ五輪柔道銀メダリスト・小川直也と橋本の抗争は、97年4月の小川プロレス初参戦から続いていた。「負けたら即引退!スペシャル」までの戦績は、橋本の1勝3敗。この年の1・4東京ドームでは両雄がタッグ(橋本&飯塚高史組VS小川&村上一成組)で対戦し、パートナー同士で決着(飯塚がスリーパーで村上に勝利)。両者はアントニオ猪木とジャニーズの滝沢秀明がエキシビションマッチを行った力道山OB会「第2回メモリアル力道山」3・11横浜アリーナで初タッグを結成。天龍源一郎&BB・ジョーンズ組と対戦したが、橋本が村上に襲撃されたことから敗北を喫してしまった。試合後、橋本は新日本4・7東京ドームに決まっていた小川戦に引退を懸けると宣言。これをきっかけに、「負けたら即引退!スペシャル」が“企画”されてしまったのである。

 センセーショナルかつショッキングなタイトルがつけられた番組は、世間でも評判を呼び高視聴率を記録した。しかも大半の人たちが予想していた引退回避のハッピーエンドはもろくも崩れ去り、橋本が小川に衝撃のKO負け。闘魂三銃士の1人として新日本を支えていた橋本は、“即引退”を余儀なくされてしまうこととなる。ちなみに、同大会での闘魂三銃士は武藤敬司がグレート・ムタとしてアメリカWCWから逆上陸、蝶野正洋との一騎打ちで反則負けを喫した。

 橋本の引退に加え、00年のプロレス界にはもうひとつ衝撃的な事件が発生した。長きにわたり日本のプロレスシーンを新日本とともに二分していた全日本プロレスが分裂してしまったのだ。しかも、三沢光晴を筆頭とした大量離脱により、全日本には渕正信、川田利明、マウナケア・モスマン(8・20後楽園で太陽ケアに改名)の3人しか所属選手がいなくなってしまった。6月16日、三沢らがNOAHの設立を発表。全日本は大量離脱後の初興行を7月1日に開催するが、皮肉にもこれがディファ有明のこけら落とし興行でもあった。翌日、天龍が古巣への協力を表明し、7・23武道館に参戦。天龍は川田とのタッグでスタン・ハンセン&モスマン組と対戦した。31日には馬場元子夫人が新社長に就任、団体は興行でのライバルだった新日本との対抗戦に生き残りを懸けることとなる。

 まずは新日本8・11両国に渕が来場し、長州力と握手。全日本9・2日本武道館で対抗戦がスタートし、蝶野が王道マットに参戦、渕を破ると、続いては川田が新日本10・9東京ドームに参戦する。

 同大会で川田は、IWGPヘビー級王者で夏の「G1クライマックス」も制していた佐々木健介と一騎打ち。健介は同年1・4ドームで天龍を破り、新日本の至宝を団体に取り戻していたのだが、川田戦に敗れ同王座を返上する。IWGPヘビー級のベルトは空位となり、その後トーナメントを開催。新王者誕生は、翌01年1・4東京ドームまで待たなければならない。

 このドーム大会には橋本がカムバック。復帰への道もテレビ地上波放送がきっかけになった。テレビ朝日「スポコン!」で復帰を願う橋本ファンの兄弟が大量の折り鶴を作る姿が紹介され、これを見た橋本が復帰を決意したのである。橋本は復帰戦で藤波辰爾を破ると、団体内独立を宣言。10月23日に「ZERO」の設立を発表、他団体との交流を行うとしたのだが、現場監督・長州と意見が対立。11月13日には新日本が橋本に解雇を通達した。しかし、12月20日には橋本が新団体ZERO-ONEの設立を発表、これが翌01年3月両国での旗揚げ戦につながっていくこととなる。橋本は、NOAH初のビッグマッチ12・23有明コロシアムに特別参戦、大森隆男とのシングルマッチに勝利した。

 橋本と対立した長州だが、新日本7・30横浜アリーナで2年7か月ぶりに現役に復帰した。相手は再三にわたり対戦を迫られていた“邪道”大仁田厚。長州は5月22日に対戦を受諾、6月30日には試合前の会場にやってきた大仁田に対し、フェンス前で「またぐなよ」と言い放ち追い返すハプニングも。復帰戦の試合形式は、大仁田のフィールドに入るノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチだったが、長州は一度も爆破を浴びることなく完勝。長州は現役選手&現場監督として活動していくこととなる。

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