聖火ランナーで41年前のリベンジを果たした谷津嘉章 次は義足レスラーとしてリングに立つ

「すごいヤツ」谷津嘉章が28日「2020東京五輪」聖火ランナーとして、栃木県・足利市内を走り抜いた。

「義足の聖火ランナー」谷津嘉章がスタンバイ【写真:柴田惣一】
「義足の聖火ランナー」谷津嘉章がスタンバイ【写真:柴田惣一】

失意のどん底にいた谷津に差し込んだ一筋の光「聖火ランナーになりたい」

「すごいヤツ」谷津嘉章が28日「2020東京五輪」聖火ランナーとして、栃木県・足利市内を走り抜いた。

 1976年モントリオール五輪に続いて、80年モスクワ五輪のレスリング日本代表に選出されたが、政治的な理由で日本はボイコット。「幻の金メダリスト」と呼ばれ、本当に悔しい思いをしている。

 その後、プロレスラーに転身して大活躍。アスリートぶりを発揮していたが、昨年6月、糖尿病を悪化させ右足を膝下7センチ残して切断した。

 翌月、群馬・高崎市のリハビリ病院にお見舞いに伺ったとき、直前までリングに上がっていたのに、車椅子に乗って現れた。右足がない。ぐるぐる巻きの包帯。正視できなかった。

 明るく振る舞っていたが「幻肢痛」で「ない足が痛む」と聞いて泣けてきた。うめき声を上げてリハビリする姿には胸が苦しくなった。

 だが、いつ何時でもポジティブ思考の谷津。「聖火ランナーになりたい。それを目標にリハビリを頑張りたい」と、前向きそのものだった。失意のどん底の谷津にとって、聖火ランナーは一筋の光。

 何とかその願いが叶うように……微力ながらそのお手伝いをさせてもらった。プロレスファンの知人で、役所の書類に詳しい人を紹介した。

 自己PR、第三者推薦人の推薦文。ゆかりの自治体の他、聖火リレープレゼンティングパートナーのトヨタ、日本生命、NTTなどの枠にも念のため応募することになった。それぞれ、求められる内容が異なるため、幾通りもの提出書類を用意した。

 サポートも大変だったが、リハビリに懸命に取り組む谷津の姿に「私には自分の足が2本ある。でも谷津さんには……」と知人。谷津は周囲の者に勇気と元気を分け与えてくれる。結果的に、谷津がレスリングを始めた足利工大附属高等学校のある栃木県から選出された。

 19年12月に聖火ランナーが決定したが、コロナ禍で20年のオリンピックは21年に延期となった。

 聖火ランナーにリレー延期の連絡が来たのは、走行予定日のわずか2日前だった。谷津は走行ルートの下見をし、足利市長を表敬訪問していた。

 あのポジティブな男もさすがに落ち込んだ。「オリンピックに2度フラれたよ」と自嘲気味に笑ったが、すぐに立ち直った。「中止ではなく延期なのだから、より良いコンディションで走れるよう、もっとリハビリ頑張るよ」と前向き発言。そうだ、その調子!

 だが、コロナは収まらず、ヤキモキする日々。「本当にやるのかな、義足の調整はどうしよう」と、弱気な言葉も口をつくようになった。

次のページへ (2/3) 200メートルを見事に完走「自分のオリンピックはこれで完結した」
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください