185系踊り子号とともにDD51型ディーゼル機関車も定期運用引退「SLとは違う魅力があった」

2021年3月13日のダイヤ改正で、JR東日本185系踊り子号の引退が話題になった。鉄道ファンにとっては、かつては全国各地でたくさん走っていたDD51型ディーゼル機関車の定期運用から引退、というニュースも大きなものだった。DD51型ディーゼル機関車は、以前は頻繁にお目にかかった列車。SLのような派手さはなかったが無骨な魅力があり、その姿を撮影した懐かしい写真を3枚紹介したい。

羽越本線の勝木-府屋間を走るDD51【写真:渡部史人】
羽越本線の勝木-府屋間を走るDD51【写真:渡部史人】

1970年代前半はSLとDD51の両方が走っていた

 2021年3月13日のダイヤ改正で、JR東日本185系踊り子号の引退が話題になった。鉄道ファンにとっては、かつては全国各地でたくさん走っていたDD51型ディーゼル機関車の定期運用から引退、というニュースも大きなものだった。DD51型ディーゼル機関車は、以前は頻繁にお目にかかった列車。SLのような派手さはなかったが無骨な魅力があり、その姿を撮影した懐かしい写真を3枚紹介したい。

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 この3枚の写真は1972年3月、東北・北海道方面に写真を撮りに行ったときのもの。70年代前半、自分は高校生のころで、休みのたびにあちらこちらで鉄道写真を撮り歩いていた。各地でSLが現役で走っており、「SLカッコイイ!!」というのりで、いわばSLの追っかけをやっていたわけだ。

 DD51は全国の幹線、亜幹線で活躍していたSLの置き替えのために製造されたと聞いている。SLが徐々にDD51に置き替えられていくなかで、両者が併存している期間だったのだろう。あちらこちらでSLもDD51も見ることができた。

 当時、自分は間もなく無くなるといわれていたSLを主なターゲットにした撮影をしていたので、DD51は事のついでにくらいの感覚で撮影していた。写真はまだフィルムの時代。DD51を撮って現像してみると、ついでに撮ったDD51も角ばった顔つきに武骨さが感じられて、これもなかなかいいものだと思いを新たにしたものだった。

DD51に「長い間ご苦労様でした」の言葉を贈りたい

 海を背景に走るDD51の写真は、羽越本線の勝木-府屋間、客車列車の先頭にたつDD51だ。客車には「B寝台」の文字が読み取れる。大阪と青森を結んでいた寝台急行「きたぐに」ではないかと思う。日本海をバックに撮れる風光明媚な区間だが、この辺りはトンネルが作られて線路が移設されているところがあるように聞いている。今はどのように変わっているのだろうか。

 雪の中を走るDD51の写真は、函館本線の上目名(かみめな)駅(廃止されていて現存しない)の近く。駅が廃止になっているので、今となっては簡単に行けるような場所でないかもしれない。DD51の重連(2両以上連結)で客車を牽引(けんいん)しているが、札幌と函館を結んでいた急行「ニセコ」だろう。この列車、この少し前まではSLの牽引だった。SLのときに撮りに行きたかったのだが、そのチャンスに恵まれずDD51に置き替えられた後になってしまった。ちょっと残念に思ったのを覚えている。

 山を背に走るDD51の写真は、室蘭本線の礼文-小幌間、貨物列車の先頭にたつDD51。小幌は数年前に日本一の秘境駅と話題になったあの小幌駅です。この写真を撮ったときは礼文駅から徒歩で撮影場所まで行ったのを記憶している。

 当時、ついで感覚ながら撮っておいたことで、「長い間ご苦労様でした」という今になっても、振り返って当時の写真を眺めることができる、良かったなと思える今日この頃だ。

□渡部史人(わたなべ・あやと)1955年9月、大阪生まれ。筑波大学第一学群自然学類卒業後、2020年9月まで株式会社野村総合研究所勤務。鉄道好きは物心ついたときから、写真は小学校3年生の頃に写真を趣味にしていた父親のカメラを借りて始める。鉄道も写真もともに今に続く趣味。

次のページへ (2/2) 【写真】函館本線の上目名駅近くと、室蘭本線の礼文-小幌間を走るDD51のショット集
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