新日本プロレスの黄金時代を支えたリングアナ・田中ケロちゃんがおじいちゃんに

あのケロちゃんがおじいちゃん!? 1980年代からリングアナウンサーとして大活躍してきた田中ケロ(秀和)アナに1月23日、初孫が誕生した。

軽快なポーズをとる田中ケロ(秀和)アナ【撮影:柴田惣一】
軽快なポーズをとる田中ケロ(秀和)アナ【撮影:柴田惣一】

名口上は語り草 リングアナの衣装にも革命

 あのケロちゃんがおじいちゃん!? 1980年代からリングアナウンサーとして大活躍してきた田中ケロ(秀和)アナに1月23日、初孫が誕生した。

 新日本プロレスの黄金時代を支えた田中アナは、今ではプロレスに限らず格闘技イベントにも登場し、ゴング前から会場を盛り上げている。持ち前の美声で繰り出す前口上は、いまや名物そのもの。試合のポイントを的確に突き、そのまま見出しにもなる魅力的なせりふのオンパレードで、ファンのテンションを一気に上げていく。

 加えてタキシードはじめ黒が目立ったリングアナの衣装にも革命を起こした。「リボンの騎士」とも宝塚風ともいえるいでたちは、スポットライト不要の華やかさでファンの度肝を抜いた。それまでは裏方だったリングアナが、一気に表舞台へ。リングアナに熱心なファンがついたのは田中アナが初めてではないだろうか。

「ケロ」の由来はカエルに似ているからだという。故・永源遥さんが名付け親という説もあるが、故・荒川真さん、グラン浜田さんなども「コルゲンコーワのケロちゃんに似ている」と主張し、ケロちゃんというあだ名になったのが始まりだ。今ではすっかり定着し「田中ケロ」と改名までした。

 それまでポンドだったレスラーの体重をキロでコール。より選手の大きさを身近に感じられるようにしたのも田中アナだった。ペンを持っても軽妙で、旅日記は人気を集めている。さまざまな新風を巻き起こした。

 現在、各団体で活躍するリングアナウンサーは、田中アナに憧れている者が多い。前口上も今やプロレス界の常識になった。「時は来た」など数々の名口上は今でも語り草だ。

 リングアナとしてだけではなく、アイデアマンとしても知られ、イベント、シリーズなどの企画、ネーミングなどでも田中アナの発案から始まったことも多い。

 リングアナ、イベントでの司会、プロデューサーの傍ら、飲食業でもその手腕を振るってきた。18年に宮城・大崎市にオープンしたジンギスカンのお店は、昨年秋、東京に拠点を戻したことで、スタッフに任せ「お食事処 ちえ」としてリニューアル。月に何度か顔を出している。新型コロナウイルス禍が落ち着いたら、また新たなジャンルに挑戦するプランもあるようだ。

 62歳になってもパワフルだが、その原動力が二人の娘さん。その上、関東在住の長女一家に男の子が誕生した。「娘がこれから母親になってしまうのが寂しい」と、ぜいたくな悩みを漏らす。声優の次女は都内で同居しており「生活時間帯が違うので、すれ違いが多い」とボヤきながらも、その顔は幸せいっぱいでニコニコしている。

 アントニオ猪木氏の信頼も厚く、先日の死亡説には即座に連絡をとり「元気なことを確信した」と振り返る。「今回の入院は腰の治療がメインで、病気はうまくコントロールされているので、心配ない」ときっぱり。

 コロナ禍でお見舞いは難しいが、猪木氏からは「元気ですかー!?」と電話がかかってくる。「少し、時間はかかるかも知れないけど、猪木さんは大丈夫」と力強い。

 思えばお孫さんの誕生日は「イチ、ニ、サン、ダーッ」とばかり1月23日。猪木氏の復活、そしてお孫さんの成長を楽しみに、田中アナはまだまだ元気いっぱい頑張ります。

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