田上明、ノア社長時代は「正直、大変だった」胃がんで死にかけた波瀾万丈の人生

「ダイナミックT」こと田上明。馬場・全日本プロレスで、四天王の一角を占め大暴れ。三沢光晴、川田利明、小橋建太とともに一時代を築きあげ、今では伝説となっている。

スタン・ハンセンのテンガロンハットをかぶってうれしそうな田上明【撮影:柴田惣一】
スタン・ハンセンのテンガロンハットをかぶってうれしそうな田上明【撮影:柴田惣一】

毎週金曜午後8時更新「柴田惣一のプロレスワンダーランド」

「ダイナミックT」こと田上明。馬場・全日本プロレスで、四天王の一角を占め大暴れ。三沢光晴、川田利明、小橋建太とともに一時代を築きあげ、今では伝説となっている。

 大相撲から1987年にプロレス入り。192センチの巨体を生かしたファイトで頭角を現し、90年代に入ると、トップ軍団入り。ジャンボ鶴田や川田とのコンビで世界タッグ王座を6回、戴冠し、96年には3冠ヘビー級王座にも君臨している。ノア移籍後も2005年にGHCヘビー級王者に輝いた。ノド輪落としを進化させた「オレが田上」「秩父セメント」(出身地が秩父)など、スケールの大きな得意技で白星を重ねた。

 脳天唐竹割りなど、師匠の馬場を思い起こさせる技も駆使し、馬場からは「タマ、タマ」(しこ名・玉麒麟から)とかわいがられた。ゴルフに誘われ、クラブやウエアをプレゼントされた。ハワイにも家族とともに同行したが「馬場さんとゴルフしか、しなかった。家族は勝手に買い物していた。家族旅行も兼ねていたけど、日本にいるときよりも、一緒にいる時間は少なかったな」と、楽しげに振り返る。

 トレーニング用具も譲り受けたが、馬場がゴルフの帰りに田上の自宅に寄った際「あれは、どうした?」と尋ねられ、慌てて持ち出したものの、息子に「あ、お父さんがこれ使っているの、初めて見た」と暴露され、怒られてしまった。

 三沢の急死後、09年にノアの2代目社長に就任し、13年暮れに現役引退。社長業に専念したが「三沢先代社長は素晴らしいレスラーであり、人間も大きかったんだけど…」とポツリ。「人間修行になった。正直、大変だったよ」と苦労したようだ。

 16年に社長を退任。茨城県つくば市に「ステーキ居酒屋チャンプ」をオープン。自ら、下ごしらえをして仕込み、肉を焼いてお客さんに提供している。ノア勢らレスラーも訪れ、飲んで食べて、泊っていく。「みんな、来てくれて、ワイワイやっている。オレはもっぱら、聞き役だけど、これが楽しいんだな」と笑顔が満開になった。

 店内にはレスラー時代の勇姿を切り取ったパネルや獲得したトロフィー、活躍を伝える新聞、雑誌なども置かれており、何より田上本人が気さくに応対してくれるとあって、プロレスファンにとっては、たまらない空間となっている。

 18年に吐血し救急車で病院に運び込まれ、胃がんが発覚。胃の全摘手術を受けるなど「死にかけたけど、何とか生きているよ。食は細くなっちまったけどな」とにっこり。

 レジェンドたちのイベントなどで、元気な姿を披露してくれる田上。おっとりとした語り口で、思わず吹き出すエピソードを連発してくれる。時には「田上火山」の大噴火も見てみたい。(文中敬称略)

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