【気になる人】ENEOSのCMで「うふふ?」の主婦を好演した峯村リエは50代で開花「人生何が起こるか…」

173センチの高身長はコンプレックスだった【写真:山口比佐夫】
173センチの高身長はコンプレックスだった【写真:山口比佐夫】

高校時代はシャネルズの追っかけだった!

 東京出身の峯村さん。幼い頃から背が高く、周りより頭ひとつ抜けていたという。中高時代は水泳部に所属し、自由形の選手として都大会に出場したことも。大柄だったことが有利に働いたという。

「私が水に飛び込むだけで、周りは水に体を流されるみたいで(笑)。水泳は個人競技だというのも、性に合っていました。周りとの競争ではあるのですが、自分のタイムとの戦いなので。ただ、私は禁欲的に水泳に打ち込んだ体育会系、というタイプではなかったですね」

 峯村さんは意外に“テキトー”なところがあるという。

「私は部長なのに練習をサボることもあって、下の学年の部員たちに、私の教室まで来られて『もう少し部活のことを考えてください』って怒られたりしていました(笑)」
 
 当時、峯村さんを夢中にさせていたのは、水泳より、大人気だった4人組「シャネルズ(後のラッツ&スター)」やテクノ風バンド「ジューシィ・フルーツ」だった。

「ファンクラブに入って、『シャネルズ』のメンバーの出身地・大森に行ってみたり、追っかけをしたり(笑)。アメカジファッションに憧れ、髪をポニーテールにしてフレアスカートを履いて……無邪気な女子高生でした。でも、多感な年頃だったので、すれ違いざまに男の人から『でっけー』と言われ、電車に乗ると頭の先からつま先までまじまじと見られていたので、背が高いことがコンプレックスでした」

 コンプレックスを克服できたのは女優になってから。

「母親が舞台好きで、私を小さい頃からよく舞台に連れて行ってくれました。その影響で、高校卒業後、舞台に関わりたいと思いこの世界に足を踏み入れました。舞台に立つと体が大きいと観客席からよく見えていいんじゃないか、と思えるようになったんです」

 舞台でキャリアを積み、30代半ばからドラマや映画にも出演。「真田丸」で知名度が急上昇したときは51歳、と映像の世界では遅咲きだった。

「女優は特に、若いときに注目される人が多いですよね。私は20代は舞台で活動していたので、ずっと穏やかに過ごしていくんだろうなと思っていました。人生何が起こるか分からない、いろんなところにチャンスがあるんだなあと思いました」

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