「バキ道」連載中の板垣恵介氏、刺激を受けた格闘技の名シーン・名せりふを大いに語る

著者近影【写真:(C)Mao Ishikawa】
著者近影【写真:(C)Mao Ishikawa】

最低限のルールを守らない“狂気”の男

――そういう映像が残っていますね。

「タフなんだよな、バーリ・トゥードって。例えば空手だと、後頭部にヒジを入れようとしたら、その寸前で止めて、そこで決着にするじゃない。下段突きでもそうだけど」

――“残心”の場面で勝敗が決まります。

※残心:相手を攻める際、突き、または蹴りを放った後にも、攻める気持ちを持続し、相手の動作にすぐに対応する心構えや身構えのこと。

「ブラジルのバーリ・トゥードはバンバン、後頭部にヒジを落とすし、思い切り連打したって、(やられたほうの相手は)動いてるよ。逃げ回る。下段突きなんてなかなか決まらない」

――治安が違うと、格闘技の進化成長の速度も全く違いますよね。

「日本では寝技になってからの打撃っていうのが長いこと試されることなく、そしてルールでモメるってのが異種格闘技戦の常だったけど、ブラジルでは簡単に決着がつくんだよね。要は『反則なし』にしましょう。これが一番フェアですよねって。何を使ってもいいって実際にそれをやっちゃったからな」

――ですね。

「許容量が全然違うよ。『いいんじゃないの? 何でもやっちゃえばいいじゃん』が通る社会なんだよね」

――想像するだけで実は怖い話なんですけど、現実なんですよね。

「だからブラジルじゃなかったら生まれていないんだよ、総合は。(第1回UFCをプロデュースした)ホリオン・グレイシーがいなかったら」

――確かにホリオンですね!

「自信があったんだから。それで無差別なのに70キロ台のホイスを出してさ。その後ろに『取っておき』の兄貴(ヒクソン)、がいるんだもんな」

――ホイス曰く、「10倍強い」と言わしめたわけですからね。

「ホントにそう見えた。あの時代(特に1990年代)は誰も勝てねえわって思えた」

――第1回UFC(93年11月12日、米国コロラド州デンバー)だと、第1試合でティラ・トゥリ(元大相撲の南海龍)がジェラルド・ゴルドーのサッカーボールキックで顔面を蹴られて、KO負けしました。

「(南海龍は)170、180キロはあったかな」

――その大会でも前日のルールミーティングが紛糾したそうですけど、その段階でもティラ・トゥリだけは「なんでもいいよ」みたいな豪快さがあったんですよね。

「大ざっぱだなァ……」

――その辺の割り切りというか、大胆さはお相撲さんだという感じがします。ちなみに先ほど言われた、反則の話なんですけど、第1回のUFCは「目突きとかみつきだけは禁止」とされていたけど、ゴルドーはそれをやっていたんですよね(苦笑)。

「かんでたね」

――最低限のルールすら守らない、というゴルドーの狂気というか。

「ホイスは終わった後に激怒していたもんな。『かんだぞ、こいつ!』って言ってた」

――その最低限が守れないゴルドーもすごいですけどね(苦笑)。

「あれはHIV(エイズウイルス)の感染予防のためにかみつきはヤメとこうっていう話だったと聞いてる」

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