「バキ道」板垣恵介氏が相撲の魅力に取りつかれた理由 「浮き世離れした話をたくさん聞きたい」
仕事に生きる怪物エピソード
――1980年代に、古舘伊知郎アナウンサーが、アンドレ・ザ・ジャイアントを「一人民族大移動」と呼んでいましたもんね。
「アンドレ・ザ・ジャイアントは究極的だ」
――以前、先生の書かれた本に、アンドレを見たときの衝撃が記載されていました。
「『俺は本物を見た』かな。まだ、(アンドレが)モンスター・ロシモフと呼ばれていた頃だな」
――それは貴重な目撃談ですね。
「選手の出入口の高さが結構なサイズで、190センチぐらいあったかな。そこのドアにヒジをかけていたもの」
――アンドレにとってはヒジかけだったんですね。
「気持ちいいね、大きいって。ああいう『ショック』っていうのは、のちに俺みたいな仕事(創作)では生きるね」
――やっぱり大きいって憧れがあるし、先生も描いていて描きがいがあるのではないかと思ったりします。
「そうね。数字的なことよりも、あの人たちはエピソードが面白い」
――興味深いですね。
「先日、『漫画みたいな大相撲のエピソード』を紹介する番組をやっていたんだけど、横綱・武蔵丸関が、現役時代にダンクシュートができたとか、大関・魁皇関が、水道が凍った時に、蛇口をひねって蛇口をちぎったとか(笑)」
――それも人間離れしたお話ですね。
「だって魁皇関は中学時代に、握力が80キロを超えてたっていうからね」
――中学生で80キロ!(※中学生男子の平均は30~40キロと言われている)
「大関・琴欧州関が、ワインを指で押して開けるというのがあってね。もう引退した彼に、そういうエピソードがありますけど? って聞いたら、『いよいよの時はね』って答えていてね。やれるんだ、本当にって思った」
――実話だったんですね。
「そう。そこで、『実はここに持ってきているんですけど、今でもできますか?』って聞いたら、『できると思いますよ』って快諾ね」
――即答ですね。
「ワインって、鉛みたいなカバーがあるじゃない。あれをまずペリッてひとひねりではがして、その次の瞬間には人差し指でポンって。親指かと思っていたけど、そうじゃなかった人差し指。もう、ラムネみたいだった」
――確かにラムネです。
「結構、苦戦するかと思ったらとんでもない、とんでもない。簡単にスポンって抜けたから」
――カッコ良すぎます。
「あと酒な」
――相撲界には酒豪が集まっていそうですね。
「誰が一番強い? って聞いたら、把瑠都関だと」
――バルトさん、やっぱり強いんだ。
「どのくらい強いのかを聞いたら、『まずビールでは酔わない』って」
――そんなアルコール度数の低いものでは酔わないと。
「うん。その後に、『ウォッカが2本くらい空いたら、じょう舌にしゃべるくらい機嫌が良くなる』って。それでホロ酔かよって(笑)。そういう話が好きだね。絶対に面白く描けるもんな、そういうシーンは。そういうファンタジーな、浮き世離れした話をたくさん聞きたいね」
□板垣恵介(いたがき・けいすけ)1957年4月4日、北海道生まれ。高校を卒業後、地元で就職するが、19歳で陸上自衛隊に入隊。習志野第1空挺団に約5年間所属し、アマチュアボクシングで国体にも出場する。その後、病による入院を期に、自衛隊を除隊。さまざまな職を経験しながら漫画家を志す。30歳のとき、漫画原作者・小池一夫の主催する劇画村塾に入塾し、「メイキャッパー」でデビューを果たす。1991年に連載スタートした「グラップラー刃牙」は、「バキ」「範馬刃牙」「刃牙道」「バキ道」とシリーズを重ねることで、格闘漫画の新たな地平を切り拓いた名作となった。他の代表作として、「餓狼伝」(原作:夢枕獏)、「バキ外伝 疵面」(作画:山内雪奈生)、「謝男(シャーマン)」などがある。