猪木との抗争で名を馳せた「インドの狂虎」シンの素顔 大プロモーターとの友情秘話【連載vol.27】
「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シン。1973年の衝撃の登場から、猪木との壮絶な抗争、上田馬之助さんとの凶悪コンビで日本全国を恐怖のどん底に叩き落した悪漢レスラーである。
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「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シン。1973年の衝撃の登場から、猪木との壮絶な抗争、上田馬之助さんとの凶悪コンビで日本全国を恐怖のどん底に叩き落した悪漢レスラーである。
サーベルを突き刺し、コブラクローでノド仏を潰しにかかる…対戦相手は元よりリングアナウンサー、セコンド、さらにはファンにも情け容赦なく襲い掛かった。当時を知る人たちは「シンは本当に怖かった」と口をそろえる。
今ではカナダで地元に貢献。学校を設立し、通りにその名がつくほどの名士として尊敬されているが、日本プロレス史に刻まれる「狂虎」であることは間違いない。
記者も何度も何度も殴られ蹴られたが、10年ほど前にシンの親戚が茨城県つくば市に開業した「シンの店」で、一緒にカレーを楽しく頬ばり、すっかり仲良しになったつもりでいたが、写真撮影となると首を絞められた。やはりシンはシンだった。
シンといえば、思い出すのが、日本プロレス時代に始まり新日本プロレスの大プロモーター、宮城県仙台の三浦庄吾さん。若くして亡くなってしまったが、豪快な人物だった。
今では「手打ち」(団体が開催する興行)が主流となったが、昭和の時代はプロモーターが興行権を購入する「売り興行」も盛んだった。
三浦さんは東北一帯のほかにも、各地で興行を開催していた。「プロレス見たいけど、お金がないんだよ」と懇願するお年寄りに「おばあちゃん、この土地の民謡唄えるかい?」…お世辞にもあまり上手とは言えない歌を口ずさんだおばあちゃんだったが、「よし! 気に入った。ただし立ち見だよ」と、入場させてあげた現場を目撃したことがある。
何とも人情味あふれる人で、坂口征二さん、故・永源遥さんなどの信頼も厚かった。
何ともユーモラスな姿で人気を博したマクガイヤー兄弟のミニバイク入場。実は巨体すぎて歩くのが遅いので、三浦さんがミニバイクを提案した。まさに風車の理論。アイデアマンでもあった。
長州力らジャパンプロレス勢が大量離脱し大変な時期にも、積極的に興行を買い、新日本プロレスを支えた。
「2匹の虎でもうけさせてもらった」が口癖だった。タイガー・ジェット・シンと初代タイガーマスクのことで、特にシンとは気が合ったようで、言葉は通じずとも大変仲良くしていた。
三浦さんの前では「インドの狂虎」も、礼儀正しく両手を合わせてあいさつ。だが、それをファンが1人でも見ていると、途端にサーベルを振りかざして大暴れしていた。シンはプロ意識の塊だった。
愛娘の裕美子さんは、4月3日生まれで、シンと同じ誕生日。三浦さんは、仙台駅前に「源平寿司」というおすし屋さんも経営していた。