【オヤジの仕事】クリスマスソング「サイレント・イヴ」の辛島美登里さんの父の十八番は「こきりこ節」
「お嫁にいくまでは好きなことを」と仕送りしてくれた
私が「大学卒業後は音楽の道に進みたい」と手紙で伝えたとき、反対しませんでしたね。約2年、月10万円を仕送りしてくれていました。長男である兄にはすごく厳しかったですけど、私のことは「女の子だからお嫁にいくまで好きなことをすればいいんじゃないか」と思っていたのでしょう。基本的に、女の子には厳しくしたくない、というのが“父の美学”だったみたいでした。
音楽で食べていけるようになり、結婚にはご縁がありませんでしたが、反面、両親と旅行する時間はたくさん得られました(笑)。海外旅行もよくしましたよ。父が建築、母が絵画好きだったのでイタリア、スペイン、トルコ……ヨーロッパ中心に。父は写真をいっぱい撮って、帰国後、キレイにアルバムに貼って、私に送ってくれました。
晩年は認知症になり母と介護
父が亡くなって16年。81歳でした。脳梗塞が引き金となり、晩年の5~6年は認知症を患っていました。でも暴言を吐いたり、暴れたりすることもなく、本当に温厚で静かな人でした。ただあんなにマメだったのに、身の回りのことさえできないことが増えていき、すごくかわいそうでした。
母が自宅で介護していたので、私もお休みがあると実家へ帰って手伝い、父が起き上がるときに手を貸したり、顔を拭いてあげたり、一緒に散歩したり。世話はとても大変でしたけど、もっとしてあげられることがあったのではと後悔も正直あります。でも今振り返ると、子供の頃はあまりスキンシップがなかったので、父と触れ合う時間がもてた貴重な時間だったのだ、と思えるようになりました。
「地道に、でしゃばらず、分相応」と教えてくれた
口下手でしたし、正直、心に残る親らしい含蓄のある名言は思い出せません。けれど本当に謙虚な人で、よく言っていたのは「地道に、でしゃばらず、分相応」ということ。母と私は「器が小さいね~もうちょっとパッと出世してほしいよね」なんて笑っていましたけど、私も受け継いでいるかもしれません。母に「私のことを自分から進んで絶対言わないで。目立たないのが一番だからね」といつも言っています。
シンガーソングライターという仕事は、人前に出る仕事だけど、決して特別じゃない。そういう目で見られたくないし、私も家族も普通の感覚の中で生活し、なるべく常識のある振る舞いをしたい、とデビューした時から自分に言い聞かせています。その頑固さも、父ゆずりかもしれませんね(笑)。
□辛島美登里(からしま・みどり)1961年5月28日、鹿児島市生まれ。1983年、ヤマハの第26回ポピュラーソングコンテストでグランプリ受賞。1989年、「時間旅行」(ファンハウス)で正式デビューし翌1990年、「サイレント・イヴ」がヒットした。1995年の「愛すること」(東芝EMI)で第37回日本レコード大賞作詞賞受賞。2020年3月20日愛知、22日神奈川、4月5日兵庫、12日東京で「Midori Karashima Concert Tour 2020 ~Cherry blossoms~」開催。