【オヤジの仕事】クリスマスソング「サイレント・イヴ」の辛島美登里さんの父の十八番は「こきりこ節」

1990年、ドラマ「クリスマス・イブ」(TBS)の主題歌「サイレント・イヴ」(ファンハウス)がヒットした辛島美登里さん(58)。その後も歌い継がれ、今もクリスマスの時期になると、どこからともなく流れてきて切ない気持ちになる。そんな辛島さんと父・重明さんのエピソードも少し切ない。辛島さんに話を聞いた。

父との思い出がいっぱいの辛島美登里さん
父との思い出がいっぱいの辛島美登里さん

公務員だった父はマジメでマメで家事も得意だった

 1990年、ドラマ「クリスマス・イブ」(TBS)の主題歌「サイレント・イヴ」(ファンハウス)がヒットした辛島美登里さん(58)。その後も歌い継がれ、今もクリスマスの時期になると、どこからともなく流れてきて切ない気持ちになる。そんな辛島さんと父・重明さんのエピソードも少し切ない。辛島さんに話を聞いた。

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 父は鹿児島県の職員。建築士だったので設計の仕事をしていましたね。私から見ると小柄な方でやせ気味。無口でマジメで、平日は朝NHKの7時のニュースを見ながら朝食を食べて、夜はNHKの7時のニュースを見ながら夕食を食べてお風呂に入って寝る、という毎日をずーっと繰り返していました。几帳面でマメでもありましたね。専業主婦の母を手伝い、休みの日には父が掃除や私の分までアイロンがけをやってくれました。とくに、ハンカチのアイロンがけが好きだったみたいです (笑)。

民謡「こきりこ節」のうまさにビックリ

 オシャレでもありました。両親はお見合い結婚だったのですが、結婚したとき、父の背広とネクタイの量にビックリした、と母が言っていました。私が小さい頃は、東京とかに出張するたびに、自分は贅沢せずコツコツお小遣いを貯めて母や私にオシャレな服を、兄には模型など、お土産に買ってきてくれました。「はいお土産」って言葉少なでしたけど。

 自分の楽しみとしてはカメラや囲碁、釣りだったのかなぁ。私が中学の頃、親戚の結婚式で突然、「こきりこ節」という民謡を披露したのでビックリしました。練習している姿を家族は誰も見たことがなかったので。本当に照れ屋な人なんです。でも「こきりこ節」はなかなか上手で、良い声だったんですよ(笑)。

フィリピンからの帰還兵の父は就寝中、うなされていた

 生まれは大正11年(1922年)ですから、戦争に行ってフィリピンで終戦を迎えたそうです。最後はジャングルの中を逃げ回ったあげく米軍の捕虜になり、危うく処刑されるところだったのを、危機一髪で解放されたのだとか。家族に戦争の悲惨な話はしませんでしたが、夜、ときどきうなされていたのはそのせいだったかもしれません。父の生前、押入れを整理していたら、戦友と戦争体験をまとめた手記が出てきて、読んだことがあります。

 フィリピンから帰国後、母と結婚したので、私と4歳上の兄は父にとって遅い子供でした。夕食の前におやつを食べていて「行儀が悪い!」とものすごく怒られたことはありましたけど(笑)、基本的には優しくて、私が高校受験に失敗し浪人が決定したときのこと。朝、不合格を知らせる電話を受けてへたりこんだ私を見て、父は仕事に出ようと、もう靴を履いていたのに、サッと靴を脱いで私の元に駆け寄り、そのまま仕事を休んでそばにいてくれました。無理を承知で「何とか娘を入学させてくれないか」と知人に電話をかけてくれていたのを覚えています。

 口下手でしたけど筆まめで、単身赴任をしていた時期や、私が音楽の道を志して上京してからは、2か月に一度、便せん数枚にびっちり書いた手紙を送ってくれました。家族や親戚の近況、私を気遣う言葉が書かれていました。書くのは好きだったんでしょうね。名簿とか電話帳も、きちんとキレイに書いて整理していました。そのへんは私も似ていますね。

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