「小さな巨人」グラン浜田が異国で見せた大きな大和魂 ファンに好かれた人間性
「小さな巨人」グラン浜田さんは1972年に新日本プロレスでデビューし、75年からのメキシコ遠征で大活躍。79年にいったん凱旋帰国したが、その後も日本とメキシコ、両国をまたにかけ大暴れした。
18年に脳梗塞を発症、19年2月にはメキシコに移住し、静かに療養生活
「小さな巨人」グラン浜田さんは1972年に新日本プロレスでデビューし、75年からのメキシコ遠征で大活躍。79年にいったん凱旋帰国したが、その後も日本とメキシコ、両国をまたにかけ大暴れした。
日本では第一次UWF、全日本プロレス、ジャパン女子プロレス、ユニバーサルプロレス、みちのくプロレスなど多くの団体に足跡を残しているが、同時に体のさほど大きくないレスラー志願者たちの先駆者でもあった。メキシコで一旗あげて日本に逆上陸。新たなルートを開拓した。
日本とメキシコ、両国の架け橋となり、多くの日本人選手がメキシコ遠征時に世話になっている。豪華な自宅で食事会がしばしば催され、日本とルチャドールたちの交流の場ともなっていた。
ルチャリブレを日本に紹介したパイオニアも、2018年に脳梗塞を発症し、日本で再婚した夫人を亡くしたこともあって、19年2月にはメキシコに移住。現在は静かに療養生活を送っている。
当初は「リトル浜田」だったリングネームもメキシコで「グラン浜田」になったという。メキシコで暴漢に襲われた若い女性が、全裸で逃げて来た現場に出くわした際、自分の服を脱ぎ、女性に着せてやって警察まで付き添ったという。
二次被害が多かった当時、浜田さんがちゃんと保護しなければ、この女性はさらなる被害者となったかも知れない。この行動は地元で報じられ「日本のハマダはグラン(偉い)」と、グラン浜田のリングネームになった。
照れくさそうに「そんなこともあったね。俺は、たとえ異国の地でも大和魂を持っているから、助けるのは当たり前だよ」と振り返っていた。