35歳で現役引退した元プロレスラー コロナ禍にもめげない実業家の現在地

新倉史祐。1980年に新日本プロレスに入門し、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSなどで活躍したプロレスラー。ヤングライオン時代に初代タイガーマスク(佐山聡)の練習相手を務め、全日マットで二代目タイガーマスク(三沢光晴)や川田利明と好ファイトを展開した。93年に35歳で引退している。

現役時代と変わらぬ笑顔の新倉史祐氏【写真:柴田惣一】
現役時代と変わらぬ笑顔の新倉史祐氏【写真:柴田惣一】

1980年に新日本プロレスに入門、93年に引退の元レスラー

 新倉史祐。1980年に新日本プロレスに入門し、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSなどで活躍したプロレスラー。ヤングライオン時代に初代タイガーマスク(佐山聡)の練習相手を務め、全日マットで二代目タイガーマスク(三沢光晴)や川田利明と好ファイトを展開した。93年に35歳で引退している。

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 日本に滞在した「プロレスの神様」故カール・ゴッチさんに3週間、密着したこともある。「毎日、ほぼ丸一日、運転手も兼ねて一緒にいたね。いろいろとお話を聞かせてもらった。俺の得意技カンガルーキック、実はゴッチさんの直伝だよ」と懐かしむ顔は、本当に楽しそうだ。

 35歳の引退には、マット界のあちこちから惜しむ声が上がったものだ。新倉氏も「坂口(征二)さんや天龍(源一郎)さんから、声をかけてもらったんだ」と振り返る。

 若くして第二の人生に舵を切ったのは実業家としての夢を実現するためだった。東京・渋谷に居酒屋ダイニング「巨門星(こもんせい)」をオープンした。ベトコンエキスプレスとしてコンビを組み、プエルトリコなど海外マットでともに暴れた馳浩(現・衆院議員)はじめ、多くのレスラーらが常連の人気店だったが、2015年に閉店している。

 19年には神奈川・横浜市の太田町にクラブ「巨門星」を開店させた。ところが、ママさんの家族に不幸があり、新型コロナウイルス禍も重なって20年3月に撤退した。「今は、知人の仕事を手伝っている。力仕事は任せとけ、だよね」と笑うが、志半ばだったクラブ経営復活の準備も着々と進めている。

 ターゲットは銀座。コロナ禍が終息したら、すぐにでもスタートできるように店舗選び、従業員候補などとの交渉を始めている。新倉氏は誰とでもうまく付き合える、人付き合いの天才と評判。「知り合いが多いんだよ」と多彩な人脈を持っている。プロレス界一の信用度を誇る坂口征二氏に「代々の付き人の中で、お前が一番、信用できた」と、太鼓判を押された人柄は変わらない。

次のページへ (2/2) ヤングライオン時代は財産「貴重な出会いもたくさんあった」
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