【プロレスこの一年 #29】大量離脱の新日本、絶対王者不在のNOAH…混迷の2006年リングを救った2人の新チャンピオン

丸藤とKENTAの一騎打ちはNOAHが誇る鉄板カードに(06年10月)【写真:平工 幸雄】
丸藤とKENTAの一騎打ちはNOAHが誇る鉄板カードに(06年10月)【写真:平工 幸雄】

プロレス大賞ベストバウトに選ばれた丸藤とKENTAのGHCヘビー戦

 新日本で棚橋が王者となったように、NOAHでも新しいタイプのチャンピオンが誕生、団体のピンチを救った。3・5武道館で田上明を破り四天王超えを果たしていた丸藤正道が9・9武道館で秋山からGHCヘビー級王座を初奪取。しかも丸藤はジュニアヘビー級のウェートで挑戦。さらにはGHCすべての王座を戴冠する快挙まで達成してみせたのである。丸藤は1週間後、アメリカROHのニューヨーク大会でナイジェル・マッギネスを相手に初防衛。これが海外における初めてのGHCヘビー級王座戦にもなった。

 丸藤は、10・29武道館でライバルのKENTAとベルトを懸けて一騎打ち。GHCヘビー級王座がジュニア戦士同士で争われる異例のカードとなったが、内容はプロレス大賞ベストバウトを獲得するほどの名勝負になった。丸藤VSKENTAは、NOAHが誇る鉄板カードに昇華するのである。

 12・10武道館では三沢との師弟対決に敗れ王座を明け渡したものの、丸藤が方舟のピンチを救ったのは明らかだった。なお、同大会には欠場中の小橋が来場。ファンに向けて復帰を約束した。

 NOAHではZERO・1 MAX、DDT、KAIENTAI DOJO、エルドラドなどと共闘するGPWA(グローバルレスリング連盟)が発足。11・14後楽園で第1回主催興行を開催したのだが、新日本や全日本が名を連ねないこともあり、結局はその後、自然消滅してしまう。

 この年の全日本では、初頭にブードゥーマーダーズ入りした諏訪間幸平が諏訪魔に改名。馳浩が7・20金沢、8・27両国で引退試合を行った。

 また、新日本の真壁刀義がブレークしたのも06年だ。その場は新日本ではなく、完全アウェーのアパッチプロレス軍だった。真壁は9月24日、後楽園でのストリートファイト有刺鉄線バリケードマットチェーンデスマッチで金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を奪取。インディーで覚醒した真壁は、その勢いをホームリングに持ち込むこととなる。

 インディーでは、みちのくプロレスが12・17後楽園を開催。ザ・グレート・サスケ&野橋太郎組VS佐藤秀&恵組が金網エニウェアバンクハウストリプルタッグデスマッチで行われ、年末恒例となる「宇宙大戦争」の出発点となった。

 女子では、AtoZの華名(現アスカ=WWE)が持病により引退、3・19後楽園でラストマッチを行った。元GAEA JAPANの里村明衣子が仙台を拠点とするセンダイガールズプロレスリングを旗揚げ。7月9日に仙台で第1戦を行った。この大会では一挙に4人の新人がデビューし、全員がベテラン選手とのシングルマッチで初マットを踏んだ。メインは里村がアジャ・コングと一騎打ち、先輩超えを果たし、新たなる一歩を踏み出した。なお、LLPWの神取忍が参議院議員に繰り上げ当選したのもこの年の出来事だった(10月4日)。

 この年の出来事として、もう1つ触れておかなければならない事項がある。4月16日、ウルティモ・ドラゴンの闘龍門が4度目となる日本逆上陸を実現させた。この日の後楽園が、岡田かずちか(現オカダ・カズチカ)の日本デビュー戦にもなったのだ。のちにレインメーカーとしてプロレス界の救世主となるオカダ。とはいえ突然変異的に現われたわけではない。新日本入団前、闘龍門でのメキシコ時代があったからこそ、なのだ。

 こうしてみると、逆境から新時代への息吹が芽生え始めたのが06年の特徴だったと言えるだろう。小橋は翌年12月、約束通りに奇跡の復活を果たす。(本文敬称略)

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