【ズバリ!近況】朝ドラ「ええにょぼ」榊原利彦テレビに出なくなった理由を初告白「半ばノイローゼに」

多くの苦難を乗り越え清々しい笑顔を見せる榊原利彦さん【写真:荒川祐史】
多くの苦難を乗り越え清々しい笑顔を見せる榊原利彦さん【写真:荒川祐史】

「ええにょぼ」抜てきはNHKから直々に連絡がきた

 それからずっと、玉記がアンテナを広く張って本を書いてきました。僕もネタ考えて。創るのは、やっぱり面白いんですよ。それで、フェイスブックで集客して……。僕は「幕末塾」というアイドルグループ出身ですが、「幕末塾」のスタートは舞台。歌って踊って笑いがとれる公演を月1で、1年7か月やっていました。秋元康さんがプロデューサーでしたが、僕らメンバーもネタを考えていたので、そのときの経験が今の僕の土台になっていますね。ちなみに、「幕末塾」の(沢井)小次郎は今も近所に住んでいるので、よく行き来していますよ。彼は映画製作に乗り出しています。

「ええにょぼ」はみなさんによく覚えていただいていますけど、僕、「ええにょぼ」のオーディションは受けていなかったんです。「ええにょぼ」の前年の92年に放送された「ザ・テレビジョン10周年記念ドラマスペシャル~悲しいほどお天気~」っていう単発ドラマを観たNHKの監督らから連絡がきて、最終オーディションのフィルムテストに来るよう言われて抜てきされたんです。フィルムテストで「俳優は誰が好きなんだ?」って聞かれたとき、「山崎努さんです」と答えたのが良かったらしい(笑)。「松田優作と答えていたら、落とそうと思ってた」と後で聞かされました。

Vシネマ「仁義」があったから今がある

 転機になったのは、「ええにょぼ」の次の年に出たVシネマ「仁義」シリーズ。本当は1本でやめようと思っていたんですけど、主役の竹内力さんがあまりに良くて悔しくて。それで、レギュラーで出させていただいたんですけど、「仁義」をやっていなかったら今の僕はない。

 舞台を作るのに必要な芝居の仕方、構成の捉え方、仕上がりの想像力を身につけたのは、「仁義」での経験によるものなんです。ときに演出って力が必要なんですよ。演出意図を想像できないキャスト全員に反対されても、説得できるだけの力が。実際、完成した段階で全員が納得したので言えるんですが(笑)、“全員に反対されても貫く”――そんな信念をもつようになれたのも、まぎれもなく「仁義」の現場や人生の苦難があったから。こうした経験がなかったら、今、僕がやっていることをやれるようになるなんて思いもよりませんね(笑)。

□榊原利彦 (さかきばら・としひこ)1969年7月27日、横浜市生まれ。神奈川県立田奈高校2年のときに原宿でスカウトされ、88年2月、10人組アイドルグループ「幕末塾」結成に参加。同年5月、「ナイスガイ・コンテスト」(フジテレビ主催)で準グランプリに選ばれ、翌89年4月、シングル「Come on Let’s Dance」(NECアベニュー)で“咲輝(さかき)”の芸名でデビューした。ソロで俳優としても活躍し、93年のNHK朝の連続テレビ小説「ええにょぼ」では戸田菜穂演じるヒロインの夫役を演じた。本名の榊原利彦の名でドラマ、映画、Vシネマ「仁義」シリーズなどで活動を続けるほか、2006年10月、玉記夫人と劇団ザ・レッドフェイスを旗揚げしプロデュース、演出、出演している。

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