追悼・小松政夫さん 共に仕事をしてきた大学教授が明かす伊東四朗との控え室での素顔

テレビでエキセントリックな芸風を見せていた小松政夫さん【写真:廣瀬久哉】
テレビでエキセントリックな芸風を見せていた小松政夫さん【写真:廣瀬久哉】

伊東四朗さんとの控え室での様子

 私が放送作家をしていた25歳の時、野沢直子さん主演の看護婦物のコメディー番組に院長役で出ていただき、初めて仕事をご一緒した。それからの十数年間は、ことあるごとに自分の担当する番組に小松さんをお呼びし、いつしか、お酒もご一緒するようになっていた。

 若手のお笑い番組で審査委員長として小松政夫賞を授与していただいたり、「タモリの音楽は世界だ」(テレビ東京系)では、製材所、ガンプレイ、コンドルとイボイノシシなど、タモリさんとの息の合った瞬間芸を再現していただいたこともあった。

「ダウンタウン」の正月特番で伊東四朗さんとおふたりで往年のギャグフレーズの解説と実演をお願いした時には、打ち合わせのため、伊東さん小松さんの控え室にお邪魔した。それまで伊東さんにも何度かインタビュー取材をしたことがあったが、おふたりそろってお会いするのは、この時が初めてだった。おふたりは控え室でも終始、「ワリィね~」などとコントのような口調で話しておられ、往年のコントのやりとりが控え室での会話から生まれたというのが納得できた。

「いつでも戻ってきてください」

 私が日本喜劇人協会の理事をしていた08年頃には、当時まだ協会員ではなかった小松さんに将来的に会長になっていただこうと入会をお願いしたこともあった。間もなく、私はある問題で当時の協会事務局に不満を感じ、協会から離れることに。入れ違いに小松さんは協会に入られ、やがて10代目の会長になられた。

 その頃、劇場の楽屋でお会いした小松さんは「(協会に)入ってみたら、私を誘った西条さんが居ないんだもん」と言い、事情を詳しくお話しすると、その問題は小松さんが解決されたとのことだった。

「だから、いつでも戻ってきてください」

 そう言っていただき、とてもうれしかったが、忙しさにかまけてタイミングを失ってしまった。そのことに今も悔いは残るが、小松さんが日本喜劇人協会の会長になられたことは本当に良かったと思う。小松さんが、初代会長のエノケンこと榎本健一から、柳家金語楼、森繁久彌、三木のり平、森光子、由利徹、大村崑といった歴代の会長たちと名を連ねるのにふさわしい喜劇俳優であるのは間違いないからだ。

 今、心よりご冥福をお祈りし、たくさんの小松ファンの皆さんと共に表彰させていただきたいと思う。

「表彰状…、小松政夫殿。あんたはエライ! 以下同文」

□西条昇(さいじょう・のぼる)1964年7月31日、東京・千代田区生まれ。小学生の頃から寄席や劇場に足を運び、80年に専修大学松戸高校を中退して3代目三遊亭圓歌に弟子入り。三遊亭歌すみとして落語家に。喜劇俳優を経て放送作家、お笑い評論家、演芸評論家として活動し、江戸川大学メディアコミュニケーション学部マス・コミュニケーション学科専任講師(05年~)、准教授(11年~)を経て教授(18年~)。著書に「ニッポンの爆笑王100」(白泉社)、「ジャニーズお笑い進化論」(大和書房)、「笑伝・三波伸介びっくりしたなあ、もう」(風塵社)など。

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