追悼・小松政夫さん 共に仕事をしてきた大学教授が明かす伊東四朗との控え室での素顔

コメディアン、俳優として活躍した小松政夫さん(享年78)が12月7日、肝細胞がんで亡くなった。盟友の伊東四朗(83)やタモリ(75)、「爆笑問題」太田光(55)、坂上忍(53)らが追悼コメントや追悼文を寄せ、小松さんを偲んだ。テレビの視聴者にも愛された小松さんだが、大衆芸能史を専門とする江戸川大学の西条昇教授(56)は幼い頃、テレビで観る小松さんの姿に魅了され、その後、放送作家として一緒に仕事をした仲だった。西条教授に小松さんとの思い出を寄せてもらった。

2016年に取材に応じた際の小松政夫さん【写真:廣瀬久哉】
2016年に取材に応じた際の小松政夫さん【写真:廣瀬久哉】

子どもの頃から憧れだった小松さんと一緒に仕事した思い出

 コメディアン、俳優として活躍した小松政夫さん(享年78)が12月7日、肝細胞がんで亡くなった。盟友の伊東四朗(83)やタモリ(75)、「爆笑問題」太田光(55)、坂上忍(53)らが追悼コメントや追悼文を寄せ、小松さんを偲んだ。テレビの視聴者にも愛された小松さんだが、大衆芸能史を専門とする江戸川大学の西条昇教授(56)は幼い頃、テレビで観る小松さんの姿に魅了され、その後、放送作家として一緒に仕事をした仲だった。西条教授に小松さんとの思い出を寄せてもらった。

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 コメディアンの小松政夫さんが亡くなられたことを知った瞬間、私はしばらく茫然(ぼうぜん)とした後で、戸棚にあるファイルから一枚の小さな表彰状を取り出し、これを小松さんからもらった日のことを思い浮かべていた。

 私は小松さんの還暦を記念して2002年5月に行われた舞台「見に来るあんたはエライでショー おとなげない大人たち」の作・演出を担当し、千秋楽から1週間後に新宿南口の小さな居酒屋で小松さんとふたりで会った。その1年前から重ねた打ち合わせや稽古期間、本番の舞台のあれこれを振り返りつつ飲んでいると、小松さんは突然、「今回、西条さんにはとてもお世話になったので表彰します」と言って、ご自宅に保管してあった「歌謡ドッキリ大放送」(テレビ朝日系)のノベルティグッズだという表彰状を鞄から出し、例の口調で読み上げはじめた。

「表彰状…、西条昇殿。あんたはエライ! 以下同文」

 渡してくれる時には「♪ニーンニキニーンニーン、ニキニキニンニンニーン」という小松流の得賞歌まで口ずさんでくれた。小学生時代からの小松ファンとして、これ以上うれしいことはなかった。

夢中になった小松さんのエキセントリックな芸風

 1970年代半ばから後半にかけて、「笑って!笑って!60分」(TBS系)や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(テレビ朝日系)での伊東四朗さんとのコントの数々で見せた小松さんのエキセントリックな芸風に夢中になった。

「いい~んだ、いい~んだ」と急に拗ねて自分だけの世界に入ってしまったかと思えば、子分役の伊東さんが「♪ズンズンズンズンズンズンズンズン、こっまつの親分さん!」と囃すと、すぐにノッて踊りながら機嫌を直し、「♪ニンドスハッカッカ、マ! ヒジリキ、ホッキョキョキョ、ガ~チャッマンに負けるな、負けるなガッチャマン、そりゃあ~」と意味不明のフレーズを口にして踊る小松の親分さん。

 威厳を保とうと小学生の息子役の伊東さんを「ドーカ、ヒトツ!」と説教しようとするものの、ついつい乗せられて、一緒に「長~い目で見て下さい」のポーズをするお父たま。

 母親役の伊東さんにシャモジでパシパシ叩かれつつ「お母たま~」と甘え、コタツの上でシラケ鳥音頭を歌い、最後は一人取り残されて「むごうございます~」と突っ伏す政太郎。

 キンキラキンのラメ衣装、オタマをマイク代わりにして「本日はニギニギしくのご来場、誠にありがとうございます!」と叫ぶ電線マンのコーナーでの小松与太郎左衛門。

 いずれのキャラクターも、明るさと暗さ、躁と鬱が一瞬にして切り替わり、どこか狂気さえ感じられたものだ。

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