【プロレスこの一年 #23】小橋&秋山組の世界最強タッグ優勝 猪木引退試合と馬場生涯最後のリング 98年のプロレス

モハメド・アリからファイティングポーズで花束を受け取るアントニオ猪木(98年4月4日)【写真:平工 幸雄】
モハメド・アリからファイティングポーズで花束を受け取るアントニオ猪木(98年4月4日)【写真:平工 幸雄】

猪木の引退セレモニーに華を添えたモハメド・アリ

 94年5月にスタートした猪木の引退カウントダウンがこの年の4月4日にクライマックスを迎えた。東京ドームには史上最多7万人という大観衆を動員。猪木の相手はトーナメントで小川直也を破ったドン・フライ。最後は猪木がフライをグラウンドコブラツイストで制してみせた。引退セレモニーには「格闘技世界一決定戦」で一世を風びしたモハメド・アリも来場し、より大きな感動をもたらした。ちなみに、アリ戦をプロデュースした“過激な仕掛け人”新間寿がリングに上がり生涯唯一の試合をしたのもこの年の出来事だ。息子の新間寿恒が主宰するFULLでピエローJrの暴走に激怒。当時63歳の新間は6・18後楽園のタッグマッチに登場し、ピエローJr.のパイルドライバーに屈するも、筋肉隆々の肉体を誇示。試合直後、「プロレスラーはすごい!」という魂の叫びでプロレスの凄みを身をもって示したのだった。

 創立25周年を記念した全日本初めての東京ドームは5万8300人を動員。メインは川田と三沢のライバルによる三冠戦で、挑戦者の川田が王座奪取に成功。三冠は6月12日の武道館で川田から小橋に移動、小橋は新時代の到来を高らかに宣言した。その小橋が7・24武道館で秋山を迎え撃った。三冠王座を懸けて両者が対峙するのはこれが初めて。試合は小橋が防衛し、9月には小橋&ジョニー・エース組の分裂をきっかけに、秋山、志賀賢太郎、金丸義信を交えたバーニングが結成されたのである。

 新日本では夏の「G1クライマックス」で橋本真也が初優勝(8・2両国)。8度目のエントリーにして初めての頂点到達だった。当時のG1といえば闘魂三銃士の一角を占める蝶野正洋がイメージされるが、橋本優勝から6日後の大阪ドームで藤波辰爾を破りIWGPヘビー級王座が移動。蝶野にとっては意外にもこれが初めてのIWGPヘビー奪取となった。同大会ではグレート・ムタとザ・グレート・カブキによる異色の“親子タッグ”が実現。カブキは9月7日、IWAジャパン後楽園で引退試合を行っている。

 猪木は引退も、自身が主宰のUFOが10・24両国で旗揚げ。引退試合の相手を争った小川とフライが一騎打ちを行い、小川が勝利しリベンジを果たした。新日本11・18京都では大仁田厚が乱入。マットを去った長州の名前を叫び、長州への「対戦要望書」を突きつけ混乱を招いた。FMWから離脱した大仁田はUFOからヒントを得たUSOを12月11日に後楽園で開催。ザ・シークの引退セレモニーを執り行っている。

 2年前に旗揚げした格闘探偵団バトラーツが両国国技館に初進出したのもこの年だ。11月23日に実現した同大会にはザ・ロード・ウォリアーズが来襲、アレクサンダー大塚&モハメドヨネのラブ・ウォリアーズを撃破するとともに、ボブ・バックランドも来日。石川雄規とのB-CUPトーナメント決勝で敗れるも、ウォリアーズとともにゴールデンタイム時代の興奮を呼び込んだのだった。バトラーツの大塚は格闘技にもチャレンジ。10・11東京ドームでの「PRIDE.4」に参戦し、マルコ・ファスから劇的なTKO勝利、ヒクソン・グレイシーが高田延彦を返り討ちにした大会だが、「ヒクソンが対戦を避けた男」と言われたファスからのアレク激勝は、プロレスファンの溜飲を下げたのである。

 女子プロレスでは、1月9日の後楽園で井上京子をトップとするネオ・レディースが旗揚げ。京子は格闘技にも挑戦し、11月14日に武道館で開催された「グラウンドZERO」に参戦しムエタイのパリンヤー・ギアップサパーと異種格闘技戦を敢行。パリンヤーはオカマボクサーとして話題となり、その半生が映画化された。京子との試合も映画「ビューティフル・ボーイ」(03年、日本公開05年)で描かれているのだ。

 この年は女子プロの老舗、全日本女子プロレスが創立30周年。11月29日には横浜アリーナで記念興行を開催したが、前年には大量離脱が発生し、ネオ・レディースにつづきアルシオンが2月18日に後楽園で旗揚げ戦。8月9日にはグラン浜田の娘、浜田文子がキャンディー奥津を相手にデビュー戦を行った。また、年末の12月27日にはJWPで人気を博したキューティー鈴木が引退し、一時代の終わりを告げた。

 海外ではハードコアテイストを標榜するECWが前年のPPV進出をきっかけに躍進した。FMWの田中将斗が6月から遠征し、半年間のレギュラー参戦。11月1日にはPPV「ノーベンバー・トゥ・リメンバー」にてダッドリー・ボーイズを破り日本人初のECW世界タッグ王座(パートナーはボールズ・マホーニー)を獲得した(ECW世界ヘビー級王座奪取は翌99年12月)。当時のアメリカマットはWWF、WCW、ECWが中心。WWFでは3・29「レッスルマニア14」でマイク・タイソンが登場、翌日のロウではディック東郷&メンズ・テイオー&船木勝一が先陣のTAKAみちのくを襲撃、WWFデビューを果たした。WCWでは12月27日、ケビン・ナッシュがゴールドバーグを破りWCW世界ヘビー級王座を奪取。ゴールドバーグはデビュー以来続いていた連勝記録が173でストップ。この記録は17年5月、NXT(WWE)の日本人女子スーパースター、アスカによって破られるまでキープされることとなる。(文中敬称略)

次のページへ (3/3) 馬場、生涯最後のリングでの雄姿
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください