川﨑麻世が社会派作品で映画初主演! プロデューサーがコロナ禍の逆境でも製作した理由
新型コロナウイルス感染症の広がりで、映画業界も上映や撮影の延期などで大混乱している。そんな逆境のなか、障害者やファミリーホーム(里親型グループホーム)を描いた社会派映画を製作し、2021年に公開しようとしているプロデューサーがいる。芸能事務所を経営する井内徳次さん(56)だ。手がけた作品がモナコ国際映画祭で受賞したこともある井内さんだが、なぜ社会派映画にこだわって製作しているのか。井内さんに聞いた。
21年に2本の社会派映画が公開予定
新型コロナウイルス感染症の広がりで、映画業界も上映や撮影の延期などで大混乱している。そんな逆境のなか、障害者やファミリーホーム(里親型グループホーム)を描いた社会派映画を製作し、2021年に公開しようとしているプロデューサーがいる。芸能事務所を経営する井内徳次さん(56)だ。手がけた作品がモナコ国際映画祭で受賞したこともある井内さんだが、なぜ社会派映画にこだわって製作しているのか。井内さんに聞いた。
21年公開予定の「僕が君の耳になる」は実話をもとにした、大学生と耳が聞こえない女性のラブストーリー。耳が聞こえない女性のモデルは、ウチに所属するろうあの女優・忍足亜希子(50)です。映画「ある家族」は東日本大震災をきっかけに、福島にある児童養護施設を訪れるようになって、実話をもとに原案を立てました。資金がなかなか集まらなかったんですけどようやく目処が立ち、最初は朗読ミュージカルとして20年1月に東京の「新宿角座」で公演したら好評で映画化にこぎ着けました。主演は川﨑麻世さんで、映画は初主演です。
耳が聞こえない人の話も、ファミリーホームの話も、“こういう現実があるよ”と少しでもいいから知ってほしくて製作しました。僕自身、実際にこうした現実に触れるまで知らなかった。自分に責任のないことで差別や偏見を受けて、つらい思いをしている人たちがいる。児童養護施設の訪問をしたときなんて、僕はただ一緒にご飯食べたりするだけなのに、帰るときには子どもらが僕の太ももにしがみついて「次はいつ来てくれるの?」って言うんですよ。いつも涙こらえて帰ってます。
児童養護施設の子どもたちで、本当に親がいない子は2割。8割はちゃんと親がいる。なのに、虐待やネグレクトにあって施設に来ているんです。子どもがもてなくて不妊治療を必死でやっている親がいる一方で、せっかく生まれてきた我が子をないがしろにする親もいる。この現実を、映画を観て多くの人に知って考えてほしいと思っています。
映画製作はこれまで約30本
社会的な問題を映画にしようと思ったのは、自分が若い頃から映画が大好きだったからでもありますけど、映画にすればたくさんの人に知ってもらえるから。そして、50年、100年先まで作品が残るから。僕は大きなことはできないけど、映画ならそれまでも作ってきたから何とかできるだろう、できることからやろう、と。
映画製作は02年に芸能事務所を起ち上げてから、30本ぐらい作ってきました。最初に手がけたのは04年公開の「M-1グランプリへの道 まっすぐいこおぜ!」。いろいろ製作してきたなかで、やっぱりもうかるのは、お色気とかアクション映画なんやけど、社会派作品を作るのは、カッコつけた言い方になるけど“人の役に立ちたい”と思うようになったからですね。
女手ひとつで育ててくれた母の急死で人生に大きな変化が
そう思うようになったきっかけは、母親が亡くなったこと。8年前に虚血性心疾患で突然、亡くなったんです。ウチの両親は僕が生まれてすぐに離婚して、僕は父親の顔をまったく知らず、母1人子1人で生きてきたんです。母は水商売して一生懸命、僕を育ててくれました。おかげで僕は何不自由なく育ったのに、あんまり優しい息子じゃなくてね。34歳で大阪から東京へ1人で出てきて、亡くなる2年前に母親を呼び寄せて一緒に暮らしていたんですけど、仕事が忙しいから「話しかけんといて」ぐらいな感じで冷たくあしらっていました。
だから、亡くなった瞬間、親のありがたみを痛烈に感じて、なんで優しくしなかったんやろうって、ものすごい大きな後悔が押し寄せてきました。僕はええ年して感謝の気持ちが欠けてた、バカやったんですね。だから、当時はひと様の前では普通にしてましたけど、1人で車に乗ったときなんかに号泣してました。でも、母親はまだ72歳やったんですよ。そんな急に亡くなるなんて思わなかったんです。今は毎日、仏壇に手を合わせています。