【ズバリ! 近況】腎臓移植で復活の電撃・南部虎弾がドナーの妻への愛と田代まさしへの無念語る(前編)

何度も大きな危機を乗り越えた不死身の南部虎弾さん【写真:山口比佐夫】
何度も大きな危機を乗り越えた不死身の南部虎弾さん【写真:山口比佐夫】

左足切断の危機、心臓バイパス手術も

 糖尿病は8年前に発覚しました。左足の小指のキズが化膿したのをきっかけに左足が一部壊死して、膝のほうまでパンパンに腫れたんです。それで病院に行って糖尿病と診断され、左足を切断しかけました。何とか切断は免れましたけどね。もともと糖尿病の家系なんだと思います。ボクは6人きょうだいの2番目ですけど、妹も糖尿病で足を切断し亡くなりました。僕自身は長年の暴飲暴食のうえ、まったく健康診断を受けていなかったんです。

 糖尿病と診断されてからは血糖値を下げる薬は飲んでいたんですけど、2年前、糖尿病の副作用で心不全を起こし8時間もの心臓バイパス手術を受けました。今回の手術は3時間。心臓バイパス手術の時のように、術後に集中治療室に入ることもなかったので、心臓手術のときほど大変ではありませんでした。手術の4日後には歩けるようになり、ドナーのカミさんは手術翌日に歩いていましたから。

違う血液型でも腎臓移植ができると知ってほしい

 ただ、ボクの血液型がRh-のO型で、カミさんがRh+のA型で血液型が違うから、手術前に血漿交換というのをやって拒絶反応が起こらないようにしなくちゃいけなかった。それがなかなかうまくいかなくて、手術予定日が延期になったのは大変でしたね。でも、血液型が違っても移植できるってことを、もっと広く知ってもらいたい。移植すればこんなに体調が良くなって、やりたいことができるんですから! 透析で週3日病院に通い、1回4時間かけて治療を受けるとなったら、こうはいかない。付き添う患者の家族も大変ですよ。

 カミさんとはボクが38歳、カミさんが19歳のときに結婚しました。ボクが電撃ネットワークを結成した1990年ですね。出会いはカミさんが18歳のとき。当時、ボクはダチョウ倶楽部のリーダーで、カミさんはダチョウ倶楽部のメンバー・寺門ジモンの追っかけの友達に連れられて舞台を観に来て知り合いました。カミさんが静岡・下田のレストランで働いていたので、東京と下田の間の熱海で会ったりしていましたね。

(後編につづく)

□南部虎弾(なんぶ・とらた)1951年7月14日、山形県鶴岡市生まれ。本名・佐藤道彦。高崎経済大学中退後に渡仏し、映画、演劇、イベントなどを鑑賞しエンタメ界を目指す。1985年、お笑いユニット・ダチョウ倶楽部を結成しリーダーに。1987年に脱退し、1990年、お笑いパフォーマンスユニット・電撃ネットワーク結成。海外でより高い評価を得て、国境を股にかけて活躍中。

次のページへ (3/3) 「大変ではなかった」と言うがやはり痛々しい
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