「キングコング対ゴジラ」造形レジェンドが秘話公開 「ゴジラ乾かすのに踏んで吊るした」
「キングコング対ゴジラ」(1962年)が24日、「第2回熱海怪獣映画祭」が開催中の静岡・熱海の国際観光専門学校熱海校で爆音&応援上映スタイルで上映され、本作の造形を担当した特殊造形のレジェンド、村瀬継蔵氏(84)が本作の撮影秘話を語った。
84歳・村瀬継蔵氏が「第2回熱海怪獣映画祭」イベントに登場 “オヤッサン”円谷英二氏、ゴジラのスーツアクター中島春雄氏との貴重エピソードを明かす
「キングコング対ゴジラ」(1962年)が24日、「第2回熱海怪獣映画祭」が開催中の静岡・熱海の国際観光専門学校熱海校で爆音&応援上映スタイルで上映され、本作の造形を担当した特殊造形のレジェンド、村瀬継蔵氏(84)が本作の撮影秘話を語った。
本作は「ゴジラ」シリーズの3作目で初のカラー作品。熱海がキングコングとゴジラの決戦の舞台になった。村瀬氏はキングコングの造形について「いろんな問題があった。白いヤギの毛を使い、染色してもらった。皮を一つ作るにも苦労した。コングの毛の生え方は部分部分によって違っていて、植え方を変えている。(プロレスラーの)グレート東郷がコングのマネをしていたので、その動きを真似た」と話した。
特技監督の円谷英二氏はゴジラの動きをあまり指示しなかったそうで、ゴジラのスーツアクター、中島春雄氏に任せていたという。「当時のゴジラの歯や爪は金網を細工したもの。中島さんが『足が痛い』と言っていたら、金網が刺さっていた。金網製の歯はすぐに曲がってしまったので、『キンゴジ』以降、私が合成樹脂の造型を考えた」と明かした。
熱海城を目の前にしたキングコングとゴジラのバトルは緊張したそうで、「3台のカメラが回っていないのでは」とのスタッフの声を聞きつけた円谷監督が「この作品は世界中の人が観るんだぞ」と激怒したことも。「オヤッサンの言葉に、初めて責任を感じた。熱海城の屋根が飛んでいくが、屋根の瓦は一枚一枚、石膏で作っていた。これは撮影所のスタッフではなく、パートの加藤さんが丁寧にやってくれた。これを撮り直すのは大変だと思ったので、ラッシュを観て、ちゃんと写っていたので安心した」と振り返った。
キングコングとゴジラは映画の最後、海中に消えていくが、「オープンセットのプールに浸かったので、乾かすのが大変だった。『キングコングは使わないからもういいよ』と言われたが、ゴジラを乾かすのに2、3日はかかった。たくさん水を吸っていたので、ゴジラを足で踏んづけて、水を出して、吊るした」と村瀬氏。60年近く前の作品になるが、その記憶が鮮明。知られざるエピソードの数々に会場を埋めた怪獣ファンも大満足だった。
最後は村瀬氏を囲んで映画祭に参加した監督、関係者と一緒に記念撮影。映画祭は大盛況のうちに幕を閉じた。