竹田誠志、命がけのデスマッチ人生の真実「嫁からはどんどんやれと言われてます」
「大怪我をしないでリングを降りるのがプロ」
――まるで「U」と関わりがあったとは思えない(笑)。
「今は僕がU-FILEにいたことを知っている人も少なくなりましたね。時の流れは早いと思います。でも結果的に僕はU-FILEに入ってよかったと思います。自分の強みにもなっているので」
――いやー、RIZINでスダリオ剛とやってほしいですね。
「いやー、総合より寝技のほうが面白いかもしれないですね」
――ちなみに年間どのくらいの頻度でデスマッチを?
「ピークの時は年間60試合くらいはやっていましたね」
――60試合も!? で、今の主戦場は?
「FREEDAMSと大日本ですね。後はちょこちょこいろんな団体に呼んでいただいて」
――今も葛西選手とは対戦したり、組んだりしている感じですか?
「今は組むほうが多いですね」
――どんな方ですか?
「リング上は見ての通りですけど、常識人ですね。すごいできた方だなと思いますね。今もそうですけど、僕にとっては葛西さんとの試合は特別ですね。何回かシングルもやらせてもらってますけど、それぞれ思い出がありますね。ただ、若い頃は血さえ流していれば勝ち負け関係ねえやと思ってましたけど、最近は変わってきましたね」
――変わったというと?
「やっぱり大怪我をしないでリングを降りるのがプロだと思うので、その点では失格だった試合があったなと。プライドは傷つきましたね(苦笑)」
――今後の目標は?
「海外で名を売りたいなっていうのがありますね。もう一株あげたいなっていうのはありますね」
――11月10日の後楽園ホールではFREEDAMSの試合があります。
「現チャンピオンの杉浦透に挑戦する権利を競い合う試合(正岡大介戦)ですね」
――試合形式は決まっているんですか?
「まだ決まってないですけど、そのうち発表になるかなと。そういう形式を考えたりするのも楽しいんですよね」
――これも素朴な疑問ですけど、奥さんはなんて言っているんですか?
「嫁は気にしない人なので」
――気にしない? 集中治療室に入っていても?
「全然心配しないです。むしろどんどんやれって」
――……。
「今年、蛍光灯が刺さった時にちょっとショックで、辞めようかと思ったんですよ。そしたら『ふざけるな!』って」
――プロレスラーの妻としては間違っていない気がします。
「僕、半年前に子どもが産まれたんですけど、成長した子どもにそういう姿を見せなきゃダメでしょって」
――確かに、親父の背中を見せるまでは辞められないですね。
「だから最低でも子どもがせめて6、7歳まではやらないと、と思っていますけどね」
□竹田誠志(たけだ・まさし)◎1985年8月13日、東京都出身。172センチ、85キロ。高校時代はレスリングで国体に出場。高校卒業後は専門学校に進学し調理師免許を取得。卒業後、U-FILE CAMPに入門。ZST、DEEPなど総合格闘技イベントに出場。2007年1月20日、STYLE-Eのリングで佐々木恭介相手にプロレスデビュー。デスマッチファイターに転身し、14年にはKING of FREEDOM WORLD王座、17年には大日本のデスマッチシングル王座を獲得。18年には両団体のデスマッチシングル王座を日本同時に巻き、史上初の快挙を成し遂げた。