竹田誠志、命がけのデスマッチ人生の真実「嫁からはどんどんやれと言われてます」
U-FILEで「落とし穴」にハマる!?
――そこから高校を卒業するってことになりますよね。
「もちろん進路相談で、また『デスマッチがやりたいから大日本プロレスに行きたいです』ってそこはハッキリしていたんですね」
――ブレがなかったと。
「そしたら担任の先生がプロレス事情にそこそこ詳しくて、『行ってもいいけど、それだと食えないぞ』と言われて。しかも『カラダに傷をつくったら、親は泣くぞ』って」
――反対された?
「そうです。しかも『もしカラダが続かなくなった時に、何か1つでいいから資格を持っとけ』って言われて、何があるかと思いながら、料理をつくるのが好きだったから、『1年間だけ町田にある調理師学校に通います』って、その段階では大日本プロレスを諦めたんですけど、ここが運命の別れ道というか分岐点だったというか」
――分岐点?
「僕もせっかく1年間、時間があるし、何もしないのはもったいない。カラダを鍛えたりしたいなあと思っていた時に、たまたま町田の街を歩いていたら、『U-FILE CAMP町田ジム』の看板を見かけまして」
――そこで「U」とつながるわけですね!
「その頃、ちょうどオープンしたてだったのか、外にプロレスラーの高山善廣さんからの花輪があったり、出場団体の一覧が書かれていて、『総合格闘技団体DEEP』の下に『全日本プロレス』って書かれていて、プロレスにも出ているんだなって思ったんです。っていうのは失礼な話なんですけど、僕、その時はUWFって知らなかったんですよ(苦笑)」
――あ、世代的に。
「なんとなくしか知らなかったんです。もちろん田村潔司さんのことは知っていましたけど、その時は1年間通って、格闘技の技術を少しでも習ってから大日本プロレスの入門テストを受けようと思っていて」
――それは何年前の話ですか?
「2004、2005年だから、15、16年前ですね」
――そこから田村潔司代表にすぐ会えたんですか?
「いや、その1年後くらいですかね。今でも覚えているんですけど、そのころに『U-STYLE』という大会を後楽園ホールとかで開催していて」
――やっていましたね。
「1年間、通おうと思ってやっていたら、レスリングをやっていたこともあって、町田ジムの上山龍紀さんから『結構センスいいね』って言われて、その当時、僕はバイトしていてお金もなかったので、『会費はいらないからジムの開け閉めをしてくれない?』って言われて、僕もウブだったので、会費を払わなくていいならって引き受けたら、そこから週4、5でオープンからクローズまでジムの管理をすることになって。上山さんの試合にはついて行って身の回りのお世話をするような、完全に新弟子っぽい雰囲気になっていて(笑)」
――完全に内弟子ですね(笑)。
「あれ、落とし穴にハマったのかな、みたいな(笑)。だから完全にその段階ではデスマッチから離れたんです。そのお陰で総合の試合とか出させてもらったりしながら、プロデビューも総合のほうが先になりました」
――デスマッチを目指していたら、なぜかMMAファイターになっていた?
「そんな感じですね」