『女神転生』誕生前夜 イジメられっ子→人気ゲームクリエイターに…鈴木一也氏の創作の原点
1987年に発売され、今なおゲーム好きを魅了する『女神転生』シリーズ。その第1作目『デジタル・デビル物語 女神転生』は、悪魔と会話し「仲魔」とする斬新なシステムでRPGの歴史に大きな足跡を残した。その世界観構築とシステム制作を担ったのが、ゲームクリエイターの鈴木一也氏だ。彼の独創的なアイデアは、一体どのようにして生まれたのだろうか。漫画家を夢見た少年時代、偉大な父との確執、IT企業での経験、そして運命的なアトラスとの出会いまで。鈴木氏の原点に迫る。

「卒業文集」を自作…クリエイター魂は幼い頃から
1987年に発売され、今なおゲーム好きを魅了する『女神転生』シリーズ。その第1作目『デジタル・デビル物語 女神転生』は、悪魔と会話し「仲魔」とする斬新なシステムでRPGの歴史に大きな足跡を残した。その世界観構築とシステム制作を担ったのが、ゲームクリエイターの鈴木一也氏だ。彼の独創的なアイデアは、一体どのようにして生まれたのだろうか。漫画家を夢見た少年時代、偉大な父との確執、IT企業での経験、そして運命的なアトラスとの出会いまで。鈴木氏の原点に迫る。(取材・文=関口大起)
『メガテン』の愛称で知られる『女神転生』シリーズ。その根幹たる設定を生み出した鈴木氏は幼少期、漫画『デビルマン』(作:永井豪)に衝撃を受けた。悪魔の力を手に入れ、同族であるはずのデーモンと戦うというダークヒーローの物語。そして、人類の愚かさや醜さを容赦なく描き出す衝撃的な展開は、鈴木少年の価値観を大きく揺さぶったと話す。
また、『デビルマン』以前にも手塚治虫、石ノ森章太郎、横山光輝と、人気作家の漫画を愛読していた鈴木少年は「漫画家になりたい」という夢を抱いていた。それもあり小学生時代は学級新聞の制作に傾倒し、4コマ漫画の執筆も精力的に行っていたという。
「もともとイジメられっ子だったんだけど、4コマ漫画やコラムなんかを書いて学級新聞を作ったら、それが人気になったんです。そしたらイジメもまったくなくなりましたね。しかも学級新聞自体が学校全体のブームになって、結局全クラスが作るようになりました」
クリエイターとしての片鱗を、幼いころから見せていた鈴木氏。その熱量は中学生になっても変わらなかった。
「卒業文集ってあるじゃないですか。私は許される限りいくらでも書きたいと思っていたんだけど、1人1ページしかもらえないんですよね。それが不満で。だから友達と一緒にもう一冊別に作ることにしたんです。結構なボリュームで、ショート小説を書いたりもしましたね」
頭の中にあるものを書いて、伝える。そしてそれがウケる。鈴木氏は幼少期より創作の喜びを覚え、成功体験を積んできたのだ。
偉大な父との確執、そしてゲーム業界へ
鈴木氏のクリエイター気質は、父親譲りだと語る。父親は、同じくゲームデザイナーで作家の鈴木銀一郎氏。カードゲーム、ウォーシミュレーションゲーム、テーブルトークRPGと幅広い作品を手掛け、日本のゲーム史において重要な人物だ。
「父は、中学生のときにはゲームを自作していたようです。たとえばダイスで遊ぶ野球ゲームとか。それも簡単なものではなくて、選手一人ひとりのデータを作り込んで、ペナントレースをさせるっていう」
銀一郎氏は1934年生まれ。中学生時代というと、終戦間もない激動の時代だ。海外ゲームの情報を入手するのも困難な中、情熱と独自のアイデアでゲームを作っていたのだろう。
「私が小学3年生のころ、ウォーゲームを作らされたこともありました。子ども部屋に方眼紙を敷き詰めて、そこに工作用紙で作った艦隊とか空母とか、飛行機とかを並べていくわけです。ルールは父がその場で決めて、遊びながら改善していく感じ」
鈴木氏のゲームの原体験はここにある。その後1981年、銀一郎氏はゲームデザイン会社レック・カンパニーを設立。ゲームの制作や情報誌の出版などを仕事としていった。ちなみに鈴木氏も、美大を中退したのち同社に入社している。しかし、『女神転生』シリーズを開発したのは言わずと知れたアトラス(ATLUS)だ。レック・カンパニーではなくなぜ、父の作った会社を離れたのだろうか。
「まあ、父とのけんかですね。ゲーム作りもコミュニティー作りもかなり頑張っていたのに、全然評価されない。一緒に入社した友だちのことはやたらと褒める一方、私に対しては些細な失敗も大きく取り上げて叱責するんです」
それは、後継者として息子へ寄せた期待の裏返しだったのかもしれない。しかし、若き日の鈴木氏にとって、それはあまりにも苛烈だった。意見は通らない。評価もされない。反発は、やがて決別へと変わった。
しかし、鈴木氏は「後悔はない」と言い切る。事実、この父への反発心こそが、鈴木氏を新たな道へと突き動かす転機となったのだ。
IT企業への転身、アトラスとの出会い
レック・カンパニーを退社したあと、鈴木氏はコピーライター、プログラマーなど、複数の仕事を転々とした。
「銀行のシステム開発なんかをしてましたね。仕事はきちんとやっていたんですけど、社長におもねるような人たちが重用されるような組織で、つまんないなと思っていました。そしたら、同じような不満を抱えて先に辞めた人間から誘われたんです。『アトラスっていうところにいるんだけど、面白いからおいでよ』って」
その誘いに二つ返事で答えた鈴木氏。当時のアトラスはまだ設立間もない小さな会社だったが、自由な社風と新しいものを作り出そうとする熱気に満ちていた。
当時の鈴木氏は、『ドラゴンクエスト』の衝撃に震えていた。レック・カンパニー所属時、オフィスにあったApple IIで熱中した『ウィザードリィ』や『ウルティマ』。それゆえRPGには並々ならぬ愛情があったが、ファミコンの環境でそれが再現できるとは思ってもいなかった。しかし、鈴木氏の目の前には『ドラクエ』がある。
「世間的にもファミコンでRPGは作れないなんて言われていたんですよ。私自身、できるわけがないと思っていました。でも『ドラクエ』を楽しくプレイしている自分がいる。悔しかったですね、これは」
そして鈴木氏は、再びゲームの世界へと戻る。
ちょうどそのころ、鈴木氏が入社したアトラスではRPGゲームの開発が進められていた。それも同氏が愛する『ウィザードリィ』をモチーフにした新作である。そうして、“悪魔と会話する”まったく新しいRPGの構想が静かに形をとり始めた。
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