ホームレス経験で「何も怖くなくなった」 安達勇人が切り拓く“地方創生×エンタメ”の新境地

「茨城でスターになるなんて無理」。周囲の猛反対を押し切り、東京での順調なキャリアを捨てて地元へ戻った男がいる。安達勇人、37歳。かつて俳優・声優としてスポットライトを浴びていた表現者は今、茨城で最も熱い男だ。昨年開催したフェスでは2万人を動員。不可能を可能に変えてきた原動力は、かつて橋の下で過ごしたホームレスの経験だった。安達が切り拓く「地方創生×エンタメ」の新境地。その波瀾万丈の足跡と今後の目標を聞いた。

不可能を可能に変えてきた原動力とは【写真:増田美咲】
不可能を可能に変えてきた原動力とは【写真:増田美咲】

2万人を熱狂させた「町おこしフェス」の衝撃

「茨城でスターになるなんて無理」。周囲の猛反対を押し切り、東京での順調なキャリアを捨てて地元へ戻った男がいる。安達勇人、37歳。かつて俳優・声優としてスポットライトを浴びていた表現者は今、茨城で最も熱い男だ。昨年開催したフェスでは2万人を動員。不可能を可能に変えてきた原動力は、かつて橋の下で過ごしたホームレスの経験だった。安達が切り拓く「地方創生×エンタメ」の新境地。その波瀾万丈の足跡と今後の目標を聞いた。(取材・文=幸田彩華)

 昨年10月に開催された茨城最大規模の町おこしフェス『イバラキドリームランド』。ライブやフード、気球や動物園、メリーゴーランドを備えたキッズエリアなど大人からファミリーまで楽しめる多様なコンテンツを展開し、2日間で約2万人を動員した。その総合プロデュースを担当したのが、いばらき大使の安達だった。

「僕が20才の頃に描いた夢が昨日叶いました。茨城県で数万人のまちおこしフェスを開催する。その構想を一枚の紙に描いてずっとマンションの壁に貼っていました。ファンの方なんてほぼいなかった時代からずっとずっと言い続けた。想い続けた。諦めなかった」

 翌日、安達がSNSにつづったのは、地元への感謝と夢が現実になったことへの達成感だった。

 茨城・桜川市出身の安達は、高校時代に剣道で日本一(山内旗・倉澤杯争奪全国高校剣道大会)に輝いた運動少年だった。大学進学とともに上京。18歳で芸能界デビューし、俳優・声優・アーティストとして活動の幅を広げた。初舞台は2009年、美輪明宏主演・演出の『毛皮のマリー』。18年には海外進出も果たし、キャリアは順調そのものだった。しかし、その最中でふと立ち止まる。

「全国や海外を回る中で思ったんです。これって、僕じゃない誰かでもできるんじゃないかって」

 求めたのは、「代替可能な役者」ではなく、自分自身が原作になる仕事。その答えが、地元・茨城だった。

「剣道もそうですが、捨て身で面を打たないとトップは取れない。芸能界も同じだと思ったんです」

 東京で活躍しながらも、茨城で成し遂げたい夢があった。周囲の猛反対を押し切り、「茨城で勝負する」と宣言。活動拠点を完全に地元へ移した。

「制作会社の方からは『もう俳優はやらないのか?』と驚かれました。でも、『茨城で勝負させてください』と。今は、僕の活動を見て人気俳優の君沢ユウキくんが笠間に移住してくれたり、子どもたちが短冊に『安達勇人になりたい』と書いてくれたりする。東京で一役者を続けていたら見られなかった景色です」

 安達を支えるのは、常識にとらわれない圧倒的なタフさだ。エネルギッシュで、ハードルが高いほど、楽しむ。その強さは、どこから生まれたのか。

 その答えは下積み時代にあった。住居の更新が重なり住む場所を失った安達は、誰にも言わず3日間だけホームレス生活を送ったことがある。

「マンションの更新時期にたまたま住めなくなった時期があって。友達を頼ることもできたけれど、親に頼るのは嫌だった。それで、よく釣りをしていた江戸川の平井大橋の下で、ホームレスの方と3日間過ごしました。毎朝一緒に空き缶を拾って換金し、その時にもらったヤクルトの味は一生忘れられません」

 その経験が、安達から「虚飾」を剥ぎ取った。

「生きること自体に価値があるんだと肌で感じたら、もう何も怖くなくなりました。俳優としてのプライドや、誰かの機嫌を取るといったことが一切消えて、素っ裸で話せるようになった。そうすると、不思議と人がついてきてくれるようになったんです」

 地元での挑戦もまた、常識破りだった。23年、地元の桜川市で2000人規模のワンマンライブを開催した際、安達は「全席無料」という無謀とも言える決断を下した。

「海外ツアーで貧富の差を目の当たりにし、お金がなくてもどんな田舎だろうがエンタメを楽しめる場所を作りたかった。結果、2000万円の経費に対し、クラファンや協賛を集めても500万円の赤字(笑)。思い切ったことで話題になり、ファンが急増しました。その後のグッズ販売などで、1年後には完済。人は思い切ることが大事なんだと実感しました」

 安達のライブは、今やファンにとって「生活の一部」になっている。毎週土日に無料ライブを開催し、数百人を動員する。居場所を作りたいという思いで続けている。

「ファンの方は『病院に行くようなルーティン』だとも言ってくれる。東京で一役者を続けていたら、絶対に見られなかった光景です。僕はいろんなアーティストにも俳優さんにも言いたいと思っていて、でかいステージに立つこと、有名になるだけがすべてじゃないよと。本当にいろんな可能性がやり方次第であるんじゃないかなと思っています」

台湾デビューが決定【写真:増田美咲】
台湾デビューが決定【写真:増田美咲】

軽トラの荷台から始まった、泥臭い逆転劇

 コロナ禍で全てのライブが止まった時も、安達は止まらなかった。軽トラックの荷台をステージに改造し、県内の道の駅を回る「軽トラライブ」を敢行。エンタメに無縁だった高齢者や家族連れの心をもつかんでいった。

 安達の「茨城からエンタメのモデルケースを作る」という決意は、着実に街の形を変え始めている。

 都道府県魅力度ランキングで下位が続く茨城。だが安達は、そこにこそチャンスがあると語る。

「何もないからこそ、そこにしかないものがある。それは人の温かさなんですよね。本当にいい意味で擦れてない。何かを作り上げると、影響が大きいんです。東京で勝負するよりは、きっかけがあると大きく広がる可能性がある街なので、すごくいいと思います」

 とはいえ、「茨城出身の有名人」といえば、真っ先に磯山さやかの名が挙がるのが現状だ。自身の立ち位置を問うと、安達はちゃめっ気たっぷりに笑う。

「茨城での知名度は、正直まだ半々くらいじゃないですかね。磯山さんは誰でも知る存在。やっぱりテレビの影響力はすごいです。僕は今、茨城でのポスターやラジオ、イベントにはたくさん出させていただいていますが、テレビにはまだそれほど出ていないので」

 かつて、番組プロデューサーから「ひな壇に呼びたいけれど、知名度がもう一息」と背中を押されたことがある。

「じゃあ頑張るわ!って。『秘密のケンミンSHOW極』に出ることはいつかかなえたいですね。北関東シリーズに出たいですね」

 安達の視線は、すでに次のステージを捉えている。26年には、中華圏で絶大な人気を誇るYouTuber・Ryu(RyuuuTV)とのユニットで台湾デビューが決定。タイトルは『THE FIRE』、あえて「炎上」をテーマにした挑戦的な楽曲だ。さらに27年には茨城で安達勇人として最大規模のライブツアーやワンマンライブの開催を予定している。

「何もないからこそ、きっかけがあれば大きく広がる。茨城にはその商機があると思っています。目指すのは、北海道の大泉洋さんのような、地方から夢を与えられる存在です」

 安達が追い求めているのは、名声ではない。目の前の人が笑うこと。その積み重ねだ。

「あの時、茨城一本に絞らず中途半端にやっていたら、今の景色はなかった。後悔はありません。何歳になっても、どんな環境でも、可能性はあります。この記事を見た方と、いつかどこかで出会えたらうれしいですね」

「何もない」から生まれる価値を証明し続ける安達勇人。その挑戦は、「地方から熱狂は生まれる」という新たな成功モデルになりつつある。

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