「原発は悪いものではなかった」 事故当日まで勤め上げた元原発事務員、15年目の告白

東日本大震災から、まもなく15年を迎える。昨年10月上旬、福島・浪江町で初開催されたカーイベント「第1回 名車の祭典 in浪江町」では、復興を盛り上げようと全国各地から約200台もの名車が集結した。黒とピンクというド派手なカラーリングのオープンカーで参加した78歳の男性は、事故のあった福島第一原発で働いていたと振り返る。車に捧げた人生と、事故当日まで勤め上げた原発への率直な思いを聞いた。

ド派手なカラーリングの1991年製ホンダ・ビートPP1型【写真:ENCOUNT編集部】
ド派手なカラーリングの1991年製ホンダ・ビートPP1型【写真:ENCOUNT編集部】

【愛車拝見#359】事故当日まで福島第一原発で勤務

 東日本大震災から、まもなく15年を迎える。昨年10月上旬、福島・浪江町で初開催されたカーイベント「第1回 名車の祭典 in浪江町」では、復興を盛り上げようと全国各地から約200台もの名車が集結した。黒とピンクというド派手なカラーリングのオープンカーで参加した78歳の男性は、事故のあった福島第一原発で働いていたと振り返る。車に捧げた人生と、事故当日まで勤め上げた原発への率直な思いを聞いた。

 黒い車体とピンクの内装のコントラストが人目を集める、1991年製のホンダ・ビートPP1型。オーナーは南相馬市と双葉町の旧車愛好家で結成された地元旧車会のメンバーという78歳の男性だ。

「会の結成は震災の前だから、もう何年になるかな。このビートは中古で35万円で買ったんだけど、完全にイベント用だね。恥ずかしくて乗れないよ。今は420万円で買った限定300台のフェアレディZ380RSと、同じくフェアレディZ32型コンバーチブルの3台。震災の頃はZ32のオープンカーに乗ってて、よく笑われたよ。『この放射能の中、オープンカー乗ってるやつがあるか』って(笑)」

 当時の仕事は原発の事務員。事故当日のことは今でもよく覚えている。

「東京電力の下請けでね。経営の方で、廃棄物処理の事務作業をしていた。揺れはすさまじかったけど、事務所は少し離れたところにあったから放射線量は低かったんだ。原発の仕事は30年くらい続けたけど、あの事故でそれっきり。もういい年だったからね」

 震災の発生から15年、原発や復興を巡ってはさまざまな報道があった。そのどれもが「正しい面もあるし、間違っていた面もある。一概にこうだと言えることじゃない」と振り返る。

「この辺りの街が原発で栄えた事実があることは否定できない。事故があった今となっては、みんないろいろと言うけれど、少なからず恩恵もあった。俺も原発がなければ今の人生はないわけで、あんなものなければよかったとは言えない。おかげでこうして大好きなクルマにも乗れているしね。他の人にとってどうかは分からないけど、少なくとも俺にとっては、原発は決して悪いものではなかった」

 記憶の風化は進む一方で、新しい世代へと受け継がれていくものもある。

「嫁はZ32のツインターボ、娘はAE86。孫も3人いるけど、みんなクルマ好きだよ。1人は女の子だけどスープラに乗ってて、彼氏もクルマ好きだってんで、俺にもよく会わせてくれるんだ。ここらの子どもはみんな震災を経験してるけど、今では明るく楽しく生きてる。悲惨な過去はあっても、人生はそれだけじゃないからね」

 過去にとらわれない前向きな眼差しで、男性はそう結んだ。

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