「お互い死ぬわけにはいかない」西村修さん没後1年 店主と交わした約束、届かなかったビーフシチュー
元プロレスラーで文京区議会議員の西村修さんが亡くなって、2月28日で1年を迎えた。2024年4月、食道がんステージ4と診断され、転移と手術を繰り返しながらもリングに立ち続けた。その壮絶な闘病は、多くのファンの胸に焼きついている。だが、レスラーでも議員でもない“素顔の西村修”を知る場所がある。地元・新大塚の洋食店「三好弥」だ。40年通い続けたその店の片隅には、いまも西村さんの笑い声が残っている。

通い続けて40年…店主家族が語る秘話
元プロレスラーで文京区議会議員の西村修さんが亡くなって、2月28日で1年を迎えた。2024年4月、食道がんステージ4と診断され、転移と手術を繰り返しながらもリングに立ち続けた。その壮絶な闘病は、多くのファンの胸に焼きついている。だが、レスラーでも議員でもない“素顔の西村修”を知る場所がある。地元・新大塚の洋食店「三好弥」だ。40年通い続けたその店の片隅には、いまも西村さんの笑い声が残っている。(取材・文=水沼一夫)
「いまだに、時々、戸を開けて仕込みやっていると、修さんが入って来る気がする」
三好弥を切り盛りして約50年。店主の神谷典男さんが、ぽつりとそう言った。
新大塚駅から坂を下った先にある、1976年創業の洋食店。西村さんは約40年、この店に通い続けた。妻の清子さん、長女の千春さんにとっても、西村さんはいつも「そこにいる人」だった。
店と西村さんの実家はご近所同士。もともとは出前を届ける間柄だったが、本格的に親しくなったのは、西村さんがアメリカ武者修行から帰ってきたころだった。
肩まで伸びた髪に、短パン、ビーチサンダル姿。清子さんが冗談まじりに「うちにその格好で来ないでよ」と言うと、「これ坂下スタイルですから」。千春さんは、当時お土産にもらったマルボロのメンソールを今も覚えている。
若手時代は体重が増えずに悩んでいた。「うちで何食べてるんだよ」と聞けば、野菜と魚中心の食事だという。「それじゃ太らないよ。肉食べないとダメだよって言ってさ」と典男さん。店ではポークソテーやカツカレーをよく平らげた。
それからの付き合いは、“客と店”という枠をはるかに超えていく。清子さんが通りで歩いていると、車をスピードダウンさせて「おかあさん、乗ってきなよ」と声をかける。準備中の店の裏口に、千葉から持ち帰ったキャベツや玉ねぎ、ニンジンを無言で置いていく。「おかあさん、買ってきたよ。また夜行くからね」と電話が入る。
「私は三好弥さんの八百屋ですから」
そんなジョークを言いながら、それが何年も続いた。清子さんは苦笑いする。「うちは頼んでないのよ」
雪が降れば坂下の雪かきをし、店先の花に水をやる。千葉で焼いた炭を大袋で持ってきて「植木にいいから」と渡す。土を掘れば、いまも炭が出てくる。
電気がついていれば、何食わぬ顔でのれんをくぐる。「ちょっとお水をください」と言って、お茶を一杯飲んで帰る日もあった。「たいした話しないんだよね。雑談」と典男さん。それでも40代、50代と年を重ねるにつれ、訪ねてくる回数はどんどん増えた。
悪口を聞いたことがない。
「裏表がないし、いつもニコッとしてる。機嫌が悪いとか、そういうのがない」
議員になっても“先生”ぶることはなかった。護国寺の境内で近所の子どもを集めて体力づくりをし、終われば銭湯へ連れて行き、三好弥でみんなと食事会を開く。プロレス会場では、入場時に文京区のパンフレットを配って歩く一方、蔵王への貸し切りバス旅行も仕切った。「頭がいいんだよね。記憶力もあって」。清子さんはしみじみ言った。
店には若手レスラーや仲間もよく連れてきた。師匠のドリー・ファンク・ジュニアは来日のたびに訪れた常連だった。写真を撮ると、西村さんは現像するだけでなく、ドリーのサインまで入れて店に持ってきた。

病室に届かなかったビーフシチュー
2024年4月、がんの告知を受けても、リングに立ち続けた。8月にはドリーと組み、電流爆破マッチで復帰戦に臨み、勝利を飾った。
実はそのころ、典男さんにもがんが見つかっていた。どんな治療をしているのか。どんな薬を飲んでいるのか。ベッドの上から互いにメールを送り、写真で近況を伝え合った。起き上がるのもつらい中でのやりとりだった。
「一番頭に残っているのは、お互い死ぬわけにはいかない、って言葉だよね。お互いがんになっちゃったでしょ。だから、頑張りましょうって。もう頭に残っちゃっているの」
三好弥に来ると、西村さんは向かいに座って「おとうさん、食べましょう」と声をかけた。典男さんは治療の影響で10キロ以上やせ、食べることがつらい時期だった。
自分も抗がん剤の影響で食欲は落ちていた。それでも、典男さんの前では箸を止めなかった。
「1時間かけてもいいからって。修さんがいると少しずつ食べられた。でも1人だと、もういいよってなっちゃう」
亡くなる直前、「大隅会」と呼ばれる宴会の日程が決まりかけていた。退院はもうすぐだった。
一方で、食欲がないということを聞いていた典男さんは、以前、西村さんが「最後に締めでビーフシチューと冷やし中華が食べたい」と話していたのを思い出した。「食べられないとは言ってるけど、一口でも食べるかもしれないから」と、ビーフシチューを仕込んだ。病院へ届けてもらう段取りも整えた。
だが、持参するその日の朝方、西村さんは旅立った。「本当に急だった」と千春さんは静かに言った。

レスラーでも議員でもない存在
それから1年がたった。
西村さんはどんな存在だったのか。3人に聞くと、しばし考えながら答えを探した。
「常連さんなんて言うと違うよね。常連を超えてるもんね」
「空気みたい。でも透明人間でもないし……」
「西村修っていうジャンルだよね」
家族でもない。親戚でもない。だが、店にとっては欠かせない存在だった。
「1年たった気がしない」と清子さんは語る。寂しいと言う立場ではない、と前置きしながらも、その言葉の端々に喪失がにじむ。
「いるときと、あまり変わらない。なんか地方の試合に行ってる感じ。沖縄あたりかなって」。千春さんは言う。典男さんは、朝、仕込みで戸を開けると、ふっと入ってきそうな気がする。「キャベツ足りてますか?」と声がしそうだ。
「修さん、まだいるような気がするよね。まだ笑ってるような感じ」
リングでも議場でも闘い続けた男は、この店ではただの“修さん”だった。
飲み物を注文する前に「何飲むの?」と聞かれ、勝手に常連客の輪に入り込み、「こっち来て一杯飲みなよ」と人と人をつないだ。
「愛される人だよね」
三好弥にとって西村修は、肩書きのいらない存在だった。寄り道できる場所で、心を浄化し、また外の世界へ戻っていく。その背中を、家族は何度も見送ってきた。
今日も、いつも通り店は開いている。
あなたの“気になる”を教えてください