【オヤジの仕事】玉袋筋太郎さん 自ら命を絶ったお父さんは「腕からスルッと…」
水道橋博士(57)とのコンビ“浅草キッド"で人気を獲得し、漫才のほかプロレスネタや競輪ネタで活躍。一般社団法人全日本スナック連盟会長としての活動でも知られる玉袋筋太郎さん(52)は、"いつも明るく元気な玉ちゃん“のイメージだが、実は父親を自死という形でなくしている。玉袋さんに父・正行さんへの思いをじっくり聞いた。
背中にバッサリ切り傷のあった父
水道橋博士(57)とのコンビ“浅草キッド”で人気を獲得し、漫才のほかプロレスネタや競輪ネタで活躍。一般社団法人全日本スナック連盟会長としての活動でも知られる玉袋筋太郎さん(52)は、”いつも明るく元気な玉ちゃん“のイメージだが、実は父親を自死という形でなくしている。玉袋さんに父・正行さんへの思いをじっくり聞いた。
オヤジの死はもう自分のなかで消化しています、大丈夫。そりゃ、病院の6階から飛び降りたって知らされたときは「まさか」と信じられなくて、号泣した。その後も何年も、なんで死んだんだ、どうしてオヤジの異変に気付いてやれなかったんだ、って自問自答を繰り返した。でも、オヤジが死んだのはオレが35歳、オヤジが65歳のときで時間がたち、人は病気だろうが事故だろうが、遅かれ早かれ、いずれみんな死ぬんだからって、オヤジの死を受け入れるようになった。そう思うようにした、というのが本当のところからもしれないけど。
オレがガキの頃のオヤジはね……怖かったよ。厳しかったし、昭和12年生まれなんだけど、身長が175~176センチもあったからデカくて、背中には縦にバッサリ切った大きな傷跡があったんだよ。てっきり”オヤジは危ない世界の人なのかな……“と子供心に思ってたんだ。後で知ってみれば、肺結核で片肺を手術で取っちゃってたから、その手術跡だったんだよね。
オヤジが厳しかったってのは挨拶。「挨拶しろ」ってこと。ごはんを食べる前は「いただきます」、料理屋に入って食べ終わって店を出るときは「ごちそうさま」って言えって。何も言わずに店を出ようとすると、「ちゃんと言えよ」って怒って、店から出してくれなかったから。でも、食事の作法とか学校の成績とかでうるさく言われたことはない。小学生の頃だって、夜遅く家に帰っても何も言われなかった。自由だったね。