「人生一度きりだからこそ」病気から復活、夢のスポーツカー 40代女性会社員の決断「今しかない」

人生でくじけそうになった時、救ってくれたのは、やっぱり愛車だった。紆余曲折を経て、病気から復活を遂げ、再び握ったマニュアル車のハンドル。「人生一度きりだからこそ」と思い切った夢のスポーツカーだ。SUBARU BRZを駆る40代の女性会社員は、アクセル全開の充実人生を送っている。

SUBARU BRZは大切な1台だ【写真:ENCOUNT編集部】
SUBARU BRZは大切な1台だ【写真:ENCOUNT編集部】

スカイラインに乗っていた父の影響、クルマ好きに育った少女時代

 人生でくじけそうになった時、救ってくれたのは、やっぱり愛車だった。紆余曲折を経て、病気から復活を遂げ、再び握ったマニュアル車のハンドル。「人生一度きりだからこそ」と思い切った夢のスポーツカーだ。SUBARU BRZを駆る40代の女性会社員は、アクセル全開の充実人生を送っている。

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 スカイラインに乗っていた父の影響を受け、クルマ好きに育った。幼少期からスポーツカーに憧れたが、学生時代は「自分で運転するというところまではいかなかったんです。スポーツカーを見て楽しんでいました」。

 初めてのマイカーは、大学を卒業して就職して数年たった頃。S15シルビアを手に入れた。それでもすぐに、「四駆のターボに乗りたい」という願望がふつふつと沸いてきた。

 SUBARU車との出会いは、友人のクルマだった。「友達のWRXに乗せてもらった時に、『面白そう』と感じたことがきっかけです」。30歳を前に、意を決してWRXを購入した。そこから人生が変わった。「自分で運転してみたら、まさに、ビビビっときたんです。『えっ、どういうこと!?』『なんだこれは!』って。アクセルを踏むと自分がクルマに置いていかれるような、あの感覚は今でも忘れられません。そこから運転する楽しさに目覚めたんです」。このたまらない運転感覚、乗り心地、スピード感……。まさに衝撃だった。

 走る楽しさにのめり込み、すっかりスバリストに。「GDB型の鷹目がすっかり気に入りました。その後、いったんマニュアル車からアウトバックを挟みました。でも、運転していると、よくWRXとすれ違うんですよ。『あっ、またいた。あそこにもいた』って。やっぱり私はマニュアル車が好きなんだと実感しました」。こうして自身にとって“2台目”となる鷹目のWRXに戻ることになった。

「せっかくスバルに乗っているのならと、WRブルーを選びました!」

 この後の愛車遍歴には軽ワゴンのステラが刻まれた。だが、人生最大のピンチが訪れる。

「病気をしてしまって、手術・入院となりました」。病床で考え抜いて、ある答えを見いだした。「『人生一度きりなんだよな。軽自動車に乗っている場合じゃない』って。自分の人生をいかに充実させるか。どう楽しむか。そう考えた時に、『今しかない』と思ったんです」。

 もう車に乗れないかもしれないという絶望感に陥ったこともある。苦悩をくぐり抜けて、「人生を楽しもう」と心に決めた。退院後、人生で初めて新車を購入。1年半前に、現在のBRZ(B型)を手に入れた。金銭面でも奮発したが、「これまで中古車で白のカラーリングだったのですが、せっかくスバルに乗っているのならと、WRブルーを選びました! アイサイトなしのマニュアル車。人生を後悔しないように。大事なことは金額じゃない。その思いです」。後輪駆動(FR)、NAエンジンに最初は戸惑って四苦八苦したが、すっかり慣れて、「めっちゃ楽しいですよ。やばっ」と満面の笑みを見せる。

 運転は医師の許可を得ており、安全に楽しく“走る喜び”をかみしめている。「病気と闘いながらという形にはなりますが、本当に運転が楽しくて楽しくて。今も気持ちが暗くなってしまう時があります。そんな時に運転すると、明るくなれるんです。このクルマに決めてよかった。心からそう思います」。

 愛車は「大切なパートナー」だ。「愛称ですか? 『いぐね号』と呼んでいます。私は秋田出身なのですが、『いぐね』という方言には『これでいいじゃん』という前向きな意味があります。これでいいよね。私のライフスタイルを表現している言葉だなと思っています」。運命のBRZと一緒に、これからも人生のハイウェイを力強く走っていく。

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