【プロレスこの一年 #8】プロレス界が大きな悲しみに包まれた三沢さんの訃報、高山善廣の完全グランドスラム
本欄が掲載されるのは8月22日だが、いまから11年前の同日、メキシコで日本発の団体がビッグマッチをおこなった。ウルティモ・ドラゴン主宰の闘龍門が、ルチャリブレの殿堂アレナ・メヒコにて、「ドラゴマニアIV」を開催したのだ。
平成21年(2009年) 闘龍門がメキシコでビッグマッチを開催
本欄が掲載されるのは8月22日だが、いまから11年前の同日、メキシコで日本発の団体がビッグマッチをおこなった。ウルティモ・ドラゴン主宰の闘龍門が、ルチャリブレの殿堂アレナ・メヒコにて、「ドラゴマニアIV」を開催したのだ。
世界一の歴史を誇るルチャの老舗団体CMLLが所有するアレナ・メヒコは、日本でたとえれば横浜アリーナに相当する大会場。約1万7000人を動員できるメキシコ有数のアリーナだ。しかしながら、この年はいつもと様子が違っていた。通常、毎年5月に開催される「ドラゴマニア」は、なぜ8月におこなわれることになったのか。
原因は、現在の新型コロナウイルスを思わせる疫病にあった。09年4月、メキシコとアメリカで新型インフルエンザの発生が確認され、世界的に拡大したのである。いまではほとんど忘れられているかもしれないが、日本でも感染者が確認されている。
当時のメキシコでは、新型インフルエンザの影響はスポーツ、エンターテインメントビジネスにも及んだ。ルチャリブレも大会中止を余儀なくされ、殿堂アレナ・メヒコでも一定期間、定期戦が開催できなくなったのだ。
それでもCMLLの興行が再開されると、延期されていた闘龍門のビッグマッチも開催可能となった。3か月遅れの大会ではウルティモが現NOAHの大原はじめと師弟対決となるマスカラ・コントラ・カベジェラ(覆面VS髪)をおこない、自身のアイデンティティーであるマスクを死守。世界的な収束にはもうしばらくの時間がかかったものの、ルチャ興行には日常の風景が戻ってきたのである。ではこの年、プロレス界はどんな一年だったのか。