デビュー50周年の浅野ゆう子、アイドル歌手時代を回想「私は芝居の方が向いていると思った」
俳優の浅野ゆう子が26日、都内で行われたデビュー50周年単独ライブ『YUKO ASANO 50th ANNIVERSARY SHOW「KANSYA」』の開演前、40年ぶりの新曲『わくわくマンボ』披露&取材会を実施。芸能生活50周年を迎えた心境を語った。
三宅裕司書き下ろしの新曲『わくわくマンボ』披露
俳優の浅野ゆう子が26日、都内で行われたデビュー50周年単独ライブ『YUKO ASANO 50th ANNIVERSARY SHOW「KANSYA」』の開演前、40年ぶりの新曲『わくわくマンボ』披露&取材会を実施。芸能生活50周年を迎えた心境を語った。
浅野は単独ライブの開催、新曲リリースについて、「1974年にアイドル歌手としてデビューして、昨年の5月で丸50年を迎えさせていただきました。振り返ると1985年に最後のシングルレコードを出させていただいて以降、新曲というものを発表していなかった」と話すと、25歳で俳優一本の道に進んだことを振り返りながら「周年の記念ライブも生まれて初めて。歌を離れて40年近くなるのですが、ふと芝居ではない素の浅野ゆう子を見ていただいて、楽しい時間をお祭りのように過ごせるといいなという気持ちで企画をさせていただきました」とコメントした。
当時、俳優と歌手を両立することは考えていなかったそうで、「歌をうたっているときもヒロインを演じている。同じ演じる仕事ですが、私は芝居の方が向いていると思ったのが25歳くらいでした。そこから、ふらふら揺れた感じで歌に(いこう)という気持ちはまったくありませんでした」と断言した。
14歳の時にはレコード大賞で新人賞を受賞。アイドル時代のキャッチフレーズを聞かれると、「『ジャンプするカモシカ』です」とはにかみ。「売りが足だったからでしょうね。事務所が足で売っちゃおうと考えたんだと思います。カモシカは普通ジャンプするもの。今でもその言葉があるのは不思議ですね」と苦笑いを浮かべた。
新曲は浅野が師と仰ぐ三宅裕司の書き下ろし。「アポなしで三宅さんの『サンデーヒットパラダイス』に行きまして、『新曲を書いてください』とお願いしました。快く引き受けてくださいました。『できれば、みんなで楽しく踊れちゃうような曲がいい』とリクエストを出させていただいて、『わくわくマンボ』という曲を書いていただきました」と説明。同時リリースとなった『すべてはあなたに』という曲も三宅が作詞を担当しており、「いつも応援してくださる“すべてのあなた”へ御礼したいという意味を込めた曲です。自分の中でのけじめ、区切りという気持ちにさせていただいている2曲になっています」と思いを述べた。
取材会の最後に三宅がサプライズで駆け付けると、「紅白のB’zみたいなことをやりたかった。B’zくらい盛り上がりましたね」と笑顔を見せ、50周年を祝福。大感激の浅野は「歌手に戻りますか? 高望みはしていませんが、みなさんに聞いていただきたい2曲です」と改めて三宅が手掛けた新曲をアピールした。