3度命を失いかけ、変顔芸人で開花 障がい者のエンタメ活動や災害復興支援にも尽力…33歳女性の素顔

変顔のものまね芸人でありながら、美貌を生かしてモデルをこなす。「人のために何かをすることが自分の生きる意味」と、災害ボランティアに従事するだけでなく、保護犬猫の活動、視覚障がい者や聴覚障がい者が世界のエンタメ界で活躍することを実現させるプロジェクトの旗振り役を務める。星咲英玲奈(えれな)は、実業家・SDGsタレント・プロデューサーなど、数多くの肩書きを持っている。そんな英語も堪能な33歳には、3度も命を失いかけた驚きの過去が……。個性あふれるパワフル人生に迫った。

実業家・SDGsタレント・プロデューサーなど多彩に活躍する星咲英玲奈【写真:本人提供】
実業家・SDGsタレント・プロデューサーなど多彩に活躍する星咲英玲奈【写真:本人提供】

星咲英玲奈 「人のために何かをすることが自分の生きる意味」

 変顔のものまね芸人でありながら、美貌を生かしてモデルをこなす。「人のために何かをすることが自分の生きる意味」と、災害ボランティアに従事するだけでなく、保護犬猫の活動、視覚障がい者や聴覚障がい者が世界のエンタメ界で活躍することを実現させるプロジェクトの旗振り役を務める。星咲英玲奈(えれな)は、実業家・SDGsタレント・プロデューサーなど、数多くの肩書きを持っている。そんな英語も堪能な33歳には、3度も命を失いかけた驚きの過去が……。個性あふれるパワフル人生に迫った。(取材・文=吉原知也)

 兵庫・尼崎出身。15歳から1年間、ニュージーランドの女子校に通い、英語力を身につけた。帰国後は国際的な教育に特化する日本の大学に通い、語学力に磨きをかけた。

 1人暮らしをしていた19歳の時に最初の試練が訪れる。「寝ていてふと目が覚めたら、ベッドの頭の方が燃えていて、とっさにスマホ・お財布・パスポート・飼い猫をケージに入れて、1人で消火活動をしたんです」。一酸化炭素が充満して意識を失いかけた。「飼い猫が1回だけ“ニャーオ!”と叫んだんです。その時、この子を救わないと! まだ生きないと! と目が覚め、最後の力を振り絞って避難できたんです」。20歳の時は中型バイクのブレーキ故障による交通事故に遭い、顔面から落下して血まみれで入院した。

 27歳の時に人生最大のピンチが。芸能関係の仕事でグアムに行ったのだが、出発前から体調不良が続いていた。「微熱と頭痛があったのですが、全てのキャンセル料が払えないのでそのまま強行してグアムに行きました。5日間ずっと高熱でベッドの上、現地のクリニックも受診し、熱を下げる薬をもらっただけで60万円の請求が。東京に帰国後には動けなくなり、救急車を呼びました。そこから記憶がありません」。

 白目をむき、けいれんを起こし、泡を吹く。その状態が1か月続いた。意識が戻らない娘を見て、家族はパニックに。当時、フランス在住の姉はショックでパリの街中で泣き叫び、関西在住の父、母、姉は交代で仕事を休み24時間付きっきりで看病。医者からは、脳の感染症とみられること、たとえ意識が戻っても言語や聴覚、歩行に障がいが残る可能性が高いことを告知された。両親は覚悟したという。

 一方で、寝たきりの星咲はこんな夢のようなものを見ていた。「さんずの川、まさにその光景でした。向こう岸に亡くなったおじいちゃんがいて、手を振っていました。最初は『こっちにおいで』かと思って川に入ったのですが、途中で気付きました。必死に伝えていたのは『こっちに来るな』だったんです」。追い返された瞬間に目が覚め、突然意識が戻った。その後、歩行訓練などのリハビリを重ね、無事に退院できたという。

 正直なところ、それまでの人生は「生きる意味を見いだせていませんでした」。よからぬことを何度も考えたことがあった。

「4度目の人生。この生かされた命をどうしよう」。ピンと来たのが、「世界中の人を笑顔にすること」だった。28歳で、万国共通の笑いは変顔だと決意を固め、お笑いの世界に飛び込んだ。日本テレビ系バラエティー番組『踊る!さんま御殿!!』などに出演。モデル芸人として着実な歩みを進めた。

能登の災害ボランティアや被災地の復興支援にも尽力している【写真:本人提供】
能登の災害ボランティアや被災地の復興支援にも尽力している【写真:本人提供】

「義眼のモデル」富田安紀子のパリコレ・ランウェイ企画の仕掛け人

 その一方で、どこか違うという思いもふつふつと沸いてきた。「自分だけが有名になってチヤホヤされて、自分だけが成果を得るためにこの人生の時間とエネルギーを使うのは、真の生かされた意味ではないから」。新たな道を見つけた。フィリピンのスラム街の子どもたちに野球を通して夢を持ってもらおうという企画のボランティアに参加。そこで人生観が大きく変わった。「現地の人たちは、血がつながっていなくても、みんなの助け合いで力強く生きていました。私は、かわいそうだから助けてあげようと思ってスラム街に行きましたが、逆に、“助け合い”という本来あるべき人間の姿を見て、心が洗われ、むしろ得るものが多かったです。私が生きる意味は『人のため』という初心に戻ることができました」。

 そこからプロデュース業をスタート。持ち前のガッツと底抜けに明るい性格で、自ら企画を構成、プレゼンし、スポンサー獲得のため全国を飛び回っている。

 今年9月には、病気によって左目を失明し、右目も失明を宣告されている「義眼のモデル」富田安紀子の夢のパリコレ・ランウェイ企画を、仕掛け人として実現させ、話題を集めた。また、聴覚障がい者たちが出演する映画『なっちゃん、オールアップです!』の共同プロデューサーを担当。ヒューマンコメディーを通して、「障がいはかわいそう、ではなく、個性! みんなで腹抱えて笑おうよ!」との思いを込める。2025年の大阪・関西万博では、パラアーティストMUSASHIが持つ“200坪パビリオン企画”の理事も務める。

 被災地・能登の災害ボランティア企画も立ち上げた。「被災地のおじいちゃん、おばあちゃん、女性、子ども、みんなから『英玲奈さんの太陽のような光をもっと世界に届けてね』とのメッセージをいただきました。応援しに行ったのに、私がパワーをもらえました」。復興を支援する複数のプロジェクトを検討しているという。

 パリコレの夢を共にかなえた同世代の富田は「英玲奈さんは、言ったことを必ずやる人です。『絶対できる』といつも励ましてもらって、すごい行動力の持ち主で、尊敬しています」と、隣りではにかむ星咲の一本気な人間性について語る。

 もう次なる一歩を踏み出している。一般社団法人「Super Givers」を今月立ち上げ、地方創生を中心に多角的な事業を新たに展開していく。「私にとって、誰かのために常に行動することが生きる意味につながっています。国連で日本代表として世界へ向けてスピーチ、そして、ノーベル平和賞を受賞するのが目標です!」と目を輝かせた。

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