弁慶役の松本幸四郎、叔父・二世中村吉右衛門さんの数珠で舞台に「怖いけれどお守り」

歌舞伎俳優の松本幸四郎、尾上菊之助が31日、東京・中央区の歌舞伎座で行われた「歌舞伎座『秀山(しゅうざん)祭九月大歌舞伎』夜の部『勧進帳』」の囲み取材に出席。幸四郎の叔父で、菊之助の義父にあたる歌舞伎俳優の故・二世中村吉右衛門さんの数珠について語った。

囲み取材に応じた尾上菊之助(左)と松本幸四郎【写真:ENCOUNT編集部】
囲み取材に応じた尾上菊之助(左)と松本幸四郎【写真:ENCOUNT編集部】

菊之助、『勧進帳』は「忠義と忠義のぶつかり合い」

 歌舞伎俳優の松本幸四郎、尾上菊之助が31日、東京・中央区の歌舞伎座で行われた「歌舞伎座『秀山(しゅうざん)祭九月大歌舞伎』夜の部『勧進帳』」の囲み取材に出席。幸四郎の叔父で、菊之助の義父にあたる歌舞伎俳優の故・二世中村吉右衛門さんの数珠について語った。

 毎年9月の歌舞伎座公演では、明治末期から昭和にかけて活躍した初世中村吉右衛門の功績を顕彰し、その芸と精神を継承していく目的の『秀山祭』が開催されている。2006年9月から始まり、21年11月に77歳で亡くなった二世吉右衛門さんが長きに渡り続けてきた。「秀山」とは、初代吉右衛門の俳名(はいみょう)。

 今回は夜の部で『勧進帳』を上演する。『勧進帳』の武蔵坊弁慶は、二世吉右衛門さんの当たり役のひとつ。二世吉右衛門さんは、「二代目播磨屋八十路の夢」として、「80歳で弁慶を演じること」を目標としていた。

『勧進帳』は鎌倉時代を舞台に、山伏に扮して奥州平泉へと落ち延びていく源義経と弁慶一行が、安宅の関を通過する際の攻防を描く。源平合戦で功をあげながら、兄・源頼朝と不和となった義経は加賀国にたどり着くが、頼朝の命で設けられた安宅関の関守・富樫左衛門によって通過が認められない。弁慶は東大寺再建のための「勧進の僧」を名乗り、怪しむ富樫は寺院建立の寄付を募る帳面「勧進帳」を読むように命じる。弁慶は白紙の巻物を取り出すと、それを勧進帳と偽って読み始めるという物語。

 二世吉右衛門さんの80歳にあたる今回、二世吉右衛門さんの甥である幸四郎が弁慶を、二世吉右衛門さんの四女の夫で義理の息子にあたる菊之助が富樫を勤める。今回の演目名には、『勧進帳 二代目播磨屋八十路の夢』とサブタイトルが付いている。

 弁慶は大きな数珠を身に着けており、二世吉右衛門さんは生前、京都で特注の数珠を制作していた。14年3月歌舞伎座公演の『勧進帳』で、この数珠を最後に使用している。今回、幸四郎はこの特注の数珠を身に着けて演じる。

 この日、弁慶姿で数珠を持って登場した幸四郎は、「秀山祭で今年『勧進帳』がかかるというのは、意味のあること。すごく意気込みを持っています。しかも自分が弁慶ということに驚きました」と語り、「(二世吉衛門さんの妻である)叔母から『弁慶をやる時に作った数珠を使ってください』と言っていただきまして、ぜひ、使わせていただきます」と明かした。

 この日初めて扮装して舞台稽古をしたといい、初めての数珠に「怖いですね」と責任の重さを感じている様子。「でも、お守りでもあり、『しっかりやらなければいけないんだ』という思いもこもっているのかな。そういう思いで使わせていただく。そこに叔父が生き続けていますので、自分が演じる上で、皆さまにお伝えできる力を発揮できたらいいな」と数珠を見つめた。

 二世吉右衛門さんは生前から常々、「80歳になったら弁慶をやりたい」と話していたという。幸四郎は「そのためにジムに行かれたり身体をつくって、『身体を作り直す、維持する』ということをされていました」と明かした。また菊之助も、「弁慶をおやりになる方は、声も身体も精神も全力でお勤めになる。弁慶は義経を守る思いがある。富樫は鎌倉殿(頼朝)の命を受け、関所を守る思いがある。『忠義と忠義のぶつかり合い』がこの演目の眼目だと思います」と語り、「その弁慶の思いに応えるべく、懸命に関守の役を勤めたいと思います」と意気込んだ。

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