神田うのが振り返る35年の芸能人生 奔放な発言の裏にある「ウソがつけない」…ネット時代は「怖いです」

芸能界に身を置いて今年35周年の節目の年となる神田うの。14歳だった1989年に芸能事務所に所属してモデルとして活動後、30年前からタレント活動を開始した。歯に衣着せぬ物言い、KY発言が面白いと人気を得てきたが、一方で冷たい言葉を浴びたことも。うのにとってのネット時代はどんな時代なのだろうか。35年を振り返ってもらうと同時に母として、社会の一員としての今後の生き方も聞いた。

子育てがひと段落して仕事に意欲を見せる神田うの
子育てがひと段落して仕事に意欲を見せる神田うの

芸能生活35年の節目に仕事の舞台裏を明かし反省も

 芸能界に身を置いて今年35周年の節目の年となる神田うの。14歳だった1989年に芸能事務所に所属してモデルとして活動後、30年前からタレント活動を開始した。歯に衣着せぬ物言い、KY発言が面白いと人気を得てきたが、一方で冷たい言葉を浴びたことも。うのにとってのネット時代はどんな時代なのだろうか。35年を振り返ってもらうと同時に母として、社会の一員としての今後の生き方も聞いた。(取材・文=中野由喜)

「私、何周年ということを意識したことがなくて……。元々、芸能界に入るつもりもない中、何となくスカウトされ、モデルとして何となく仕事を始めたので正直、デビューがいつの何の仕事かよく分かっていません。両親に反対される中、ファッションにすごく興味があり、きれいな洋服をたくさん着られると思って仕事を始めた感じでしたから」

 何となく入った芸能界で35年。

「今になって私すごくラッキーだったんだと思っています。弟(ハマカーンの神田伸一郎)が親に内緒で大学院を中退して芸人を始めて、ちまちまと活動しているので『早くテレビに出れば』と言ったことがありました。弟には後で『お姉ちゃんに言われて一番傷ついた言葉』と言われましたが、当時の私はテレビには出ようと思えばいつでも出られると思っていたんです。それが今になってテレビに出演することは大変なことだと分かりました。子育てが落ち着き、またテレビの仕事と思ったら席がないんです。ずっと絶えることがなかったCMの仕事も今は1本もなく、子育てで忙しくて仕事が無くなっていることにも気付きませんでした」

 順風満帆に過ごした若い頃の芸能界。当時を振り返り反省も口にした。

「プロデューサーさんに生意気に『朝の生放送はつらいから辞めさせてください。もらえるギャラ分を私が払いますから休ませてください』と失礼なことを平気で言っていました。それでも出してくれていましたが、本当に失礼ですよね。当時のマネジャーも大変だったと思います。私をあの手この手を使って現場に連れて行っていましたから」

 なぜ仕事が嫌だったのか。

「20代の頃は遊び盛りでしたし、朝5時まで飲んだりしたので眠くて、眠くて。VTR中は眠ったりしていました(笑)。今、思うとよくもそんな失礼なことをしていたなと、何様だ、と思います。でも仕事があまりにも忙しすぎたのは本当。レギュラー番組13本にCM撮影や雑誌の撮影、取材やインタビューも……」

「失礼なことをしていた」と言う姿勢は昔とは違う。

「大人になったんです(笑)。当時はただただ忙しくて。でも仕事は好きだったんです。お友だちができますし、共演者の方と一緒にいるのは楽しかったし、人が好きで、みんなと何か作り上げることも好きでした。だから仕事と思ったこともなかったですね(笑)。当時の占いの先生には『あなたは仕事を遊びの延長だと思っていますね』とズバリ当てられました(笑)」

 世間からは好き放題に発言するうのに厳しい声もあった。

「私の本来の姿を知っている人からは嫌な言葉を投げかけられたことはありません。一緒に仕事をした人たちには今もすごく可愛がってもらいます。だから週刊誌などで悪く書かれたりすると、うのがいい人なのは分かっているからと、皆さん慰めてくれます」

 何でも口に出してしまうことを自身ではどう思うのか。

「ばか正直なんだと思っています。でも、もうちょっと考えてから言おうとか、少しぐらいお世辞も言えるようにと今、勉強中です(笑)」

 バラエティー番組で「何でもあけすけに発言しない」「ブログはアップ前に誰かにチェックしてもらう」など改善策を自ら公表したことがある。

「憲ちゃん(美川憲一)も『あんた、もっとうまく生きないとだめよ。こういう発言はだめなのよ』と注意してくれますが、周りから竹を割ったような性格で、正直者過ぎるとずっと注意されてきました。うまく立ち回らなきゃだめと。でも私はついつい本当のことを言ってしまうんです。ウソがつけないんです」

 正直すぎるだけではない。正義感も人一倍。思いがけない軋轢を生むこともあったという。

「弱い立場の人が言えないことを私が代わりに言うこともありました。昔、ある仕事で後輩の若い人たちが大先輩にいじめられて私に泣きついてきたことがありました。知っている方でしたので私が話したら、結局その方とは縁が切れました。今の私ならうまく対応していると思いますが、私は弱い人を助けたくなるんです。子どもの頃から正義感があって、誰かがいじめられていたら、いじめっ子にも対峙していました。後先も考えずに正しいと思ったら言ってしまうし、生まれつき曲がったことが嫌い。でも、これからの人生はかしこく正義感を持って生きていこうかと思います。一歩ひいて考えて誰も傷つかず、優しい言い方ができるようにしたいです」

 うのにとってのネット時代も気になる。

「怖いです。見えないところで攻撃されるし、人は他人から悪口を気にしがちですから。私の母は『ネットの悪口は見てはいけません』と言ってますが、私もそう思っています。少しでも私のことを好きだと言ってくれる人がいたらそれでいいし、ありがたいと感謝しています。自分の悪口を見ることで自分の大事な人生を無駄にしたくないです。いいコメントは感謝しながら読んで、そうでないコメントは読まない。昔は何も考えていませんでしたが、今は、SNSで私が何か発信する際は用心しています。事前に注意点をアドバイスしてくれる人の声に耳を傾ける。今そこは鉄則です。それがさっきの改善策」

 来年は50歳。今後の生き方を聞いた。

「父から30歳の時に言われた言葉を、あらためて意識しています。『美しい生き方をしなさい。今までたくさん愛情をもらってきたから、これからの人生は愛情をお返しする番だよ』と。周りを幸せにできるような生き方ができたらいいと考えていますが、最近は子どもを通して見る社会もあったりして、より意識が高まっている気がします。誰かのためになれる自分になりたい。それが私の生まれてきた意味と思えるようになりました。10代、20代の時には全くなかった気持ち。近年は仕事より娘優先という母親マインドで生きてきましたが、子育てがひと段落し、来年は50歳と思った時、社会の一員として仕事をしなければと思いました。ファンの方もテレビに出るとうれしいと言ってくださるし、私がテレビに出ると娘も喜ぶんです。その期待に応えたいと思っています」

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